『あなた方自身と、その手足を義の器として神にささげなさい』(ローマ6章13節)
一、マタイへの招き(マルコ2章14節)
マタイは『アルパヨの子レビ』と呼ばれているので、純粋のユダヤ人です。彼は『取税所に座っている』取税人でした。
取税人は住民から税を取り立てる役人ですが、現在の税務署員と違って、集めたお金の一部を自分の物にしたり、ローマ政府の権威をかさにしていたりしていたので、人々からきらわれていました。当時のイスラエルは、ローマ帝国の植民地とされており、マタイの住んでいたガリラヤ地方は、ユダヤ人の敵 ヘロデ・アンテパスが領主で、ローマ政府に代わって税を取りたてていました。異邦人のローマとエドム人の手先となり、しかも、不正な利益で私腹を肥やしていた取税人は、裏切り者として、人々から『罪人』と同様に扱われ、軽蔑されていました。しかも、取税人は、アラム語やギリシャ語を自由に話せる者でなければなりません。イエスはこの少し前、無学な漁師たちを弟子として招かれました。
しかし、今度は金持ちで教養のある取税人のマタイを招かれたのです。
イエスの招きに対し、マタイは何のためらいもなく、取税人の椅子から『立ち上がって従った』のです。アンデレ、ペテロ、ヨハネなどは網を捨てましたが、後にまたもとの仕事にもどったことがあります(ヨハネ21章3節)。けれど、マタイは立ち上がって離れた収税所の椅子に再び戻ることはありませんでした。安定したサラリーマン生活をやめたことになります。これは、大変な決心であったことでしょう。
主を信じ従うことは、必ずしもその職業を捨てることではありません。けれど、その仕事が明らかに主の前に悪でであり、クリスチャン生活と両立しないと判断した場合は、それを捨てなければなりません。マタイは、自分の罪が赦された喜びの故に忌まわしい取税人の仕事を断固として捨てたのです。
二、救いを喜ぶマタイ(マルコ2章15−17節)
マタイは、罪に汚れきった自分のような者を愛してくださる神の愛を知って、どんなに喜んだことでしょう。マタイは、食事に招き、たくさんの同僚たちにもイエスの福音を聞いてもらうために家庭を解放したのです。そして、ここもイエスの伝道の一つの拠点と。なったのです。それによって、パリサイ人たちから地獄行き確実というレッテルを貼られていた人たちが、イエスの福音を信じ始めました。イエスは『正しい人を招くためでなく
、罪人を招くために来たのです』と言われたのは、自分が罪人だと認める人のみが救われるということです。