人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼するものは守られる。(箴言 29章25節)
Fear of man will prove to be a snare,but whoever trusts in the LORD is kept safe. Proverbs 29 : 25
最後の晩餐の後、イエスと弟子たちは、暗やみの中をオリーブ山に向かって歩いて行きました。イエスは弟子たちに『あなた方は今夜、私を見捨てて逃げ去る』と予告されました。今夜、と言われて弟子たちは、どんなに驚いたことでしょう。ペテロの答えを見てみましょう(マルコ14章29−31節)。この時ペテロは、自分の弱さに気づいていませんでした。しかしイエスは、ペテロの弱さをすべて知り尽くしておられたのです。わずか数時間後にイエスの言われた通りのことが起こるなどとは、彼らには思いによらないことだったのでしょう。
一、遠く離れて見守るペテロ(マルコ 14章53−65節)
イエスが捕らえられた時、弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げてしまいました。イエスは縛られ、アンナスの屋敷に連れて行かれました (ヨハネ18章13節)。その後、大祭司カヤパの官邸に移されました。真夜中でした。官邸の大広間では、祭司長、律法学者、長老たちが大勢集まって、裁判が始まりました。イエスを死刑にするための裁判でした。一度はイエスを見捨てて逃げていたペテロでしが、遠くからイエスの後を追って、大祭司の庭の中まで入って行きました。(大祭司の知り合いであるヨハネ)が門番の女に話して、ペテロを中庭に入れてくれた (ヨハネ 18章16節)。中庭には火がたかれ、役人たちが火にあたっています。ペテロも役人たちと一緒に座り、何食わぬ顔で火にあたっていました。
二、イエスを知らないというというペテロ(マルコ14章66−72節)
そのとき、大祭司の女中の一人が近づいて、ペテロをじっと見つめて『あなたもイエスと一緒に居ましたね』と言いました。この時ペテロは、心臓が止まりそうになるほど驚いたのではないでしょうヵ。彼はあわてて『何を言っているのか、、見当もつかない』と言って、その場から離れて行きました。しかし、なおも女中は、周りの人たちに『この人はあの仲間です』と言い立てます。ペテロは再び、この言葉を打ち消しましたが、周りの人たちまでが、ペテロのガリラヤなまりを指摘して、たしかに仲間だと言い出した時、ペテロはとうとう『そんな人は知らない。もしうそを言っているなら、のろわれてもいい』とまで言ってしまいました。数時間前に『たといごいっしょに死ななければならないとしても、知らないなどとは決して言いません』と誓ったペテロの口から、このことばが吐かれたのです。イエスが予告されたとおりでした。鶏が鳴き、イエスのことばを思い出したペテロは外に出て激しく泣きました。イエスを裏切ってしまったという悲しみと、自分の弱さ、罪深さを悔いる涙でした。
イエスに対する愛も、決して裏切らないという誓いもうそではありませんでした。しかし、ペテロは、人を恐れたために、このような大失敗を犯してしまいました。
* イエスを知らないと言ったペテロ 聖書箇所=マルコ14章53−72節
主題=人を恐れるとき、罪を犯す