東大阪エリムキリスト教会 牧師 竹腰明人
ギリシャ語では、人間をアンスロポスと書きます。その意味は「上を向く」「上を見上げる」です。人が人として、人らしく生きるにためには、天を見上げ、お祈りしながら生きて事が必要です。今日は、イエス様が弟子たちに教えた「主の祈り」から祈りについて見て行きましょう。
ルカ11:1 さて、イエスはある場所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに言った。「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」
11:2 そこでイエスは彼らに言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が聖なるものとされますように。御国が来ますように。
11:3 私たちの日ごとの糧を、毎日お与えください。
11:4 私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負い目のある者をみな赦します。私たちを試みにあわせないでください。』」
弟子たちが、イエス様にお祈りの仕方を教えてくださいとお願いしますと、イエス様は、お祈りの仕方を教えてくださいました。
? 祈りは、神様との会話です。
ですから最初に「父よ」と神様の名前を呼びます。けれども神様を「父」と親しく呼びかける事は、弟子たちにとっては、衝撃的な事で戸惑いを感じたに違いありません。なぜなら当時のユダヤの人々や、律法学者たちは、神様の事を絶対に父よと呼ぶ事はなかったからです。ヨハネ5章18節にはこう書いてあります。
ヨハ5:18 ・・・ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。・・・神をご自分の父と呼び、ご自分を神と等しくされたからである。
イエス様の弟子たちは、最初は戸惑いながら「父よ」と祈り始めた事でしょう。まだお祈りした事がない方は、どうぞ「天のお父様」と祈り初めてください。すでにお祈りしている方は、全世界の創造主を「父」と呼べる恵みに感謝しましょう。イエス様の十字架によって遠く離れていた者が近い者とされたのです。十字架によって父と和解し、神の子とされたのですから遠慮なく大胆に祈り求める者とされましょう。
? 祈りの内容
大きく4つあります。賛美、願い、告白(罪の悔い改め)、感謝です。主の祈りでは最初に神様のお名前を讃美しています。
御名が聖なるものとされますように。
「聖」とは「区別」という意味がありますので、神様のお名前が、この世のどんな名前とも区別されて、高くかかげられ、ほめたたえられ、あがめられますようにと神様を賛美しています。悪魔の心は、自分が賛美され、自分が誉め讃えられ、あがめられる事を求めます。人間にも悪の心があり、自分が賛美され、誉め讃えられ、あがめられる事、立派な人だと思われたいという誘惑に常に駆られています。ですから、お祈りの中で、神様を讃美し、自分の立つべき位置を確認しましょう。人間の本文は、神様の栄光を現し、神様を讃美することです。
次に「願い」をお祈りしています。
御国が来ますように。
今年は、新型コロナウイルスの脅威が世界を震撼させています。また、地球上で一番寒い南極では最高気温18度が記録され、沢山の氷が溶け出しています。オーストラリアでは去年の9月から森林火災が続いて森林の20%、約5分の一が焼失してまったそうです。多くの命が失われただけではなく、コアラも含め10億ほど動物たちが犠牲になったそうです。地球自体が今、悲鳴を上げて苦しんでいます。私たちの生活、私たちの心の中に天国の喜びや平安が訪れるだけではなく、自然界を含む全ての被造物に神の国が到来しますように、癒やしがありますようにと祈りたいと思います。
私たちの日ごとの糧を、毎日お与えください。
世界銀行は、貧しさを測る国際的な水準として、1日1.25ドルを「貧困ライン」と定めています。今、世界で10億人以上の人たち、6人に1人が1日1ドル以下(約100円)以下の生活を強いられています。ご飯がお腹いっぱい食べられず、痩せ細っていく飢餓により一日約2万5千人の人が亡くなっているそうです。
インドのスラム街で貧しい人たち、死にゆく人たちに寄り添ったマザーテレサは、日本に来てこのようにお話ししてくださいました。「けさ、私は、この豊かな美しい国で孤独な人を見ました。この豊かな国の大きな心の貧困を見ました。・・・豊かそうに見えるこの日本で、心の飢えはないでしょうか。・・・貧しい者は、パンに飢える人や路上生活者だけではありません。それよりももっと困難なのは、精神的な飢え、愛の渇き、心の飢えの方です。」今の日本では、ご飯が食べられなくて死んでしまう人は非常に少ないと思います。けれども心が飢え乾き、魂が死にゆく人は沢山いることでしょう。人間が人間らしく生きて行くには、身体を満たすご飯だけではなく、心を満たす神の言葉が必要不可欠です。毎日お腹が空くように、人の心も毎日、神の言葉を求めて飢え乾いているのです。ですから、日々聖書を開いて「今日、私に必要な御言葉をください」と祈りつつ、求めつつ聖書から神の御言葉をいただいていきましょう。
続いて告白(罪の悔い改め)を祈っています。
私たちの罪をお赦しください。私たちも私たちに負い目のある者をみな赦します。
クリスチャンは「罪ゆるされた罪人」と言われます。イエス様を信じても罪を犯す弱い存在です。ですから、日々、十字架のもとにへりくだり、罪を告白しきよめていただきましょう。そして、周りの人々の罪もゆるす者とされましょう。昨日までの罪は「すでにゆるしました」と告白し、今日も「罪をゆるします」明日も「ゆるしていきます」と周りの人々の罪もゆるしていく者とされましょう。主の祈りでは「私たちの罪を」と共同体としての祈りを捧げています。教会は神の共同体です。愛し合いながら、ゆるし合いながら前進していくのです。牧師も信徒もみな罪人ですから、お互いにゆるし合いながら今日も明日も前進していきましょう。
感謝の祈りも忘れずにお捧げいたしましょう。今日も、イエス様の十字架の完全なゆるし、完全なきよめ、その恵みの中に生かされているのです。さらにはイエス様の復活により、新しい者とされ永遠の命が与えられています。日々、天を見上げ、イエス様の十字架を仰ぎ見て感謝の気持ちを捧げていきましょう。感謝を捧げる所に主の栄光が満ちあふれます。聖書の主の祈りはここで終わりますが、日曜礼拝で唱える主の祈りは、国と力と栄とは、とこしえにあなたのものだからです。アーメンと続きます。神様は、世界の造り主、全ての国々を治めておられる力と栄に満ちたお方です。全知全能であり、不可能は事は何一つありません。ですから、どんな事でも祈り求める事が出来ます。祈りの中で神様のご性質を告白しますと神様に対する信仰が増し加わり、祈りの力も増し加わっていきます。次に、神様がどのようなお方であるのかを見て行きましょう。
? しつこく求める者に答えてくださるお方
11:5 また、イエスはこう言われた。「あなたがたのうちのだれかに友だちがいて、その人のところに真夜中に行き、次のように言ったとします。『友よ、パンを三つ貸してくれないか。
11:6 友人が旅の途中、私のところに来たのだが、出してやるものがないのだ。』
11:7 すると、その友だちは家の中からこう答えるでしょう。『面倒をかけないでほしい。もう戸を閉めてしまったし、子どもたちも私と一緒に床に入っている。起きて、何かをあげることはできない。』
11:8 あなたがたに言います。この人は、友だちだからというだけでは、起きて何かをあげることはしないでしょう。しかし、友だちのしつこさのゆえなら起き上がり、必要なものを何でもあげるでしょう。
11:9 ですから、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。
これは例話ですから、他人に迷惑をかけてもいいから、何か困った事があれば誰かに助けを求めなさいと教えている箇所ではありません。2つの事が強調されています。神様は「しつこく求める者」に答えてくださり「必要」ならば与えてくださるという事です。
求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。
ギリシャ語では求め続けなさい。探し続けなさい。たたき続けなさい。と動作を続ける意味が含まれています。神様は求め続ける者の祈りに答えてくださいます。 私は、祈りの人と言うと必ずジョージ・ミューラー(1805年?1898年)を思い出します。彼は青年時代に刑務所を何回も出入りするような者でしたが神様と出会い、祈りの人にかえられて5万回の祈りの答えを受けとった人と言われています。
ミューラーは詩篇68:5の「みなしごの父,やもめのさばき人は聖なる住まいにおられる神」という御言葉から神様は、みなしごの父だと知ってイギリスの道ばたをさまよっている孤児たちの為に、孤児院を設立しました。ミューラーは「子供たちに食べさせない親がどこにあるか!神様は必ず孤児たちに食べさせられるのだ!」と確信して、一生涯、ひれ伏して祈る祈りの人となったのです。30歳のとき、孤児院を始めてから、93歳のときに天に召されるまでの63年間、彼はただひたすら神様だけにより頼んで、孤児院を運営しました。彼は、ただの一度も、「お金がこれだけ必要です」と人々に訴えたことはありませんでした。「神様が孤児たちを食べさせる」と確信して、必要の全てを神様に祈り求めたのです。そして3000人を超える孤児を養い、「イギリスの孤児の父」と呼ばれるまでになりました。
ミューラーは、諦めずに、信じて祈り求める人でした。友人の救いの為にも祈り続けました。ある友人の救いを祈り、その友人は5年後に救われました。ある友人は、10年後に、ある友人は、25年後に救われました。けれども、ある友人のためには52年間も祈り続けましたが、その友人は救われないままミューラーは亡くなりました。しかし、ミューラーの死後、その友人は救われたのです。 最後まで、粘り強く、信じて祈り求める事の大切さを学べる証です。
私は、両親の救いを祈り続けました。そして22年後に、両親は洗礼を受けて救われました。今も、姉の家族と、弟の家族の救いを祈り続けています。昨年、父のお見舞いに来たときに、病院で姉に福音を伝える事が出来ました。弟には父の召天式の時、2人きりになる機会が与えられ、福音を語る事が出来ました。これからも救われる事を信じ、粘り強く祈り続けていきます。
? 神様は必ず祈りに答えてくださいます。
11:8 あなたがたに言います。この人は、友だちだからというだけでは、起きて何かをあげることはしないでしょう。しかし、友だちのしつこさのゆえなら起き上がり、必要なものを何でもあげるでしょう。
イエス様は、神様は必要なものを何でも与えてくださると教えてくださいました。ですから、あなたに必要なものがあれば祈り求めてください。神様はその必要を満たしてくださいます。しかし、必要ないもの、不必要な物事は与えられません。神様は3つの形でお祈りに答えてくださいます。
?YES はい、必要ですから、与えます。
?NO いいえ、不必要ですから、与えません。
?WAIT 待ちなさい。必要な時が来たら、与えましょう。
お祈りするときに、間違った物事を祈り求めていないかと恐れて求める事をやめないようにしましょう。判断は神様がしてくださいます。必要なら与えられます。必要ないものなら与えられません。神様は私たちにとって良いものだけを、必要なものだけを与えてくださいますので、安心して、どんな事柄でも大胆に祈り求めて行きましょう。また、物事の大小も関係ありません。こんな小さな事を祈っていいのかな? と心配しなくていいです。例話の中で友人はパンを3つだけ求めています。神様はたとえパン3つだけでも、必要ならばその小さな必要に答えてくださいます。
先週の祈り会は、山下信彦さんが起業した、バイオEORの会社でお祈り会をしました。山下さんの証を聞くと資金0からといよりも、マイナスからのスタートでしたが会社には、研究に必要な機械や機材が、ずらりと並んでいました。そして、会社に訪れる方に配るための御言葉入りのマグカップも見せていただきました。神様は必要なものを必ず備え、与えてくださるお方です。ですから、何か必要があれば、神様にしつこく、粘り強く祈り求め続けて行きましょう。
2020年3月1日 しつこく求め続けよう。