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(2019-04-07の週報より)

「本当の幸福」

  

主題  本当の幸福                                   
   本当の幸福は、神を信じ、神の支配のもとに生きるとき、得られる。
聖句=心の貧しい物は幸いです。天の御国はその人の物だからです。(マタイ5章3節)
聖書箇所=マタイ4章23ー5章12節)
 イエスは初期の宣教活動を、ガリラヤ地方のおいて行われました。マタイはその教えを5〜7章に、その働きを8、9章に、まとめています。その教えは、山上の説教として広く知られ、テーマは本当の幸福です。


一、幸福とは (5章1ー12節)


 この山上の説教で、イエスは『幸いです』ということばを、九回も繰り返し語っています。『幸いです』が山上の説教のキーワードですが、ギリシャ語ではマカリオイ、ヘブル語ではアシュレイ。それは共に『祝福された者たち』の意味です。
 詩篇第一篇は詩篇全体の序文といわれますが、それは『幸いなことよ』ということばで始まっています。そこに描かれている幸いな者とは、悪者のはかりごとに歩まず、主の教えに生きている者のことで、神と共に歩み神に祝福されている者たちです。
 一般に幸福という時、経済的に豊かで家庭的に恵まれていることをいいます。しかし、山上の説教でいう幸福は、むしろそれらより逆で、貧しさや悲しみの中にあっても、神に祝福されていることです。


二、幸福な人達(5章1ー12節)


 ここで、幸いな人達は、大きく三つに分けられます。
 第一は、『心の貧しい者』『悲しむ者』『柔和な者』で、特に心の状態が強調されています。彼らは、自分ではなく神に信頼し、悲しみの中にあっても他人を理解し、苦難の時にも堪え忍んでいる人たちのことです。
 第二は、『義に飢え渇いている者』『あわれみ深い者』心のきよい者』で、特に神との関係が強調されています。神の義に飢え渇き、神の愛をもって他者に接し、神に対して二心ない人達のことです。
 第三は、『平和をつくる者』『義のために迫害されている者』『わたしのために……悪口雑言を言われたりする』者で、特に人との関係が強調されています。他者と平和にし、神とキリストのために真実に生きている人達です。


三、幸福の理由(5章1ー12節)


 なぜ、幸いであるのか。イエスは、幸いである理由を、神の視点から語っています。
 第一は、神の国を相続できる。『天の御国はその人のものだからです』その人は、神の国の民とされ、神の祝福のうちに生きるのです(3,10節)
 第二は、神の子とされることです。『その人は神の子どもと呼ばれるからです。』その人は神の子供と呼ばれ、神と共に生きることができるのです。(8,9節)
 第三は、神の祝福を受けることです。(4,6節)。『その人は満ち足りるからです。』『悲しみと苦しみの中にあっても、神の祝福に満ちあふれている』(11,12節)
 本当の幸福は、地上における偶然の産物ではなく、神の祝福によってもたらされる。神に目を注ぐとき、本当の幸福がわかってくるのです。
*マタイ5章3節
 この聖句は多くの人に知られているが、正しく理解されていません。日本語で『心の貧しい者』とは、普通、心の狭い人や自分のことしか考えない人を意味するからです。原語は、直訳すると『霊において貧しい者たち』となるが、その意味は神に寄りすがらなければ生きてゆけない者たちです。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください』(ルカ18章13節)と祈った。あの取税人のような者です。
 天の御国は、そのような者のものである『天の御国は』、マルコの福音書では『神の国』といわれ(1・15、4・26,30)神の国の民となり、神との交わりに生きるようになることです。自分に頼らず、神に 絶対の信頼を寄せている者は、神の国の民とされ、神の祝福のうちに生きることができます。それが、人間にとって、最高の幸せなのです。

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