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(2018-05-27の週報より)

「取税人マタイ」

  

 

主題  取税人マタイ

 主は、罪人の私たちを今日も招いておられます。その招きに罪を悔いて応じる者となりましょう。

聖書箇所 マルコ2章14ー17節

 自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげなさい。 

                              (ロマ6章13節)

一、取税人マタイへの招き(マルコ2章14節)

 

 ガリラヤ湖の北西岸にカペナウムという町がありました。アルパヨの子レビ(後にマタイと呼ばれる)

はそこで取税人をしていました。取税人は住民から税を取り立てる役人ですが、現在の税務所員とは違って、

集めたお金の一部を自分のものにしたり、ローマ政府の権威をかさにしていたりしていたので、人々にきらわれていました。当時イスラエルは、ローマ帝国の植民地とされており、マタイの住んでいたガリラヤ地方は、ユダヤ人の敵ヘロデ・アンテパスが領主で、ローマ政府に代わって税を取り立てていました。異邦人のローマとエドム人の領主の手先となり、しかも、不正な利益で私腹を肥やしていた取税人は、裏切り者として人々から『罪人」と同様に扱われ、軽蔑されていました。しかも、取税人は、アラム語やギリシャ語を自由に話せる者でなければなりません。イエスはこの少し前、無学な漁師たちを弟子として招かれました。

 しかし、今度は、金持ちで教養のある取税人のマタイを招かれたのです。  

 イエスの招きに対し、マタイは何のためらいもなく、取税所の椅子から『立ち上がって従った』のです。

アンデレ、ペテロ、ヨハネなどは網を捨てましたが、後にまた仕事にもどったことがあります(ヨハネ21章

3節)。けれども、マタイは立ち上がって離れた収税所の椅子に再び戻ることはありません。安定したサラリーマン生活をやめたことになります。これは、大変な決心であったことでしょう。

 主を信じ従うことは、必ずしもその職業を捨てることではありません。けれども、自分の仕事が明らかに主の前に悪であり、クリスチャン生活と両立しないと判断した場合は、それを捨てなければなりません。

 マタイは、自分の罪が赦された喜びのゆえに忌まわしい取税人の仕事を断固として捨てたのです。

二、救いを喜ぶマタイ(15−17節)

 マタイは、罪に汚れきった自分のような者を愛してくださる神の愛を知って、どんなに喜んだことでしょう。マタイは、イエスを食事に招き、たくさんの同僚たちにもイエスの福音を聞いてもらうために家庭を解放したのです。そして、ここもイエスの伝道の一つの拠点となったのです。それによって、パリサイ人たちから地獄行き確実というレッテルを貼られていた人たちが、イエスの福音を信じは始め始めました。イエスが『正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです』と言われたのは、自分が罪人だと認める人のみが救われるということを意味します。

(祈りましょう)

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