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(2018-03-25の週報より)

「神の御心」

  

  主題  神のみこころがなるように祈る

   聖句 『わたしの願いではなく、 

      神のみこころのとおりにしてください。

             (ルカ22章42節)

      

一、ユダの裏切り(1−6節)

 過越の祭りといわれる、種なしのパンの祝いが近ずいていました。祭司長や律法学者たちは、イエスを殺すのに何か良い方法はないかと考えていました。というのは、彼らは、イエスの教えを聞こうと朝早くから宮におられるイエスのもとに集まっていく民衆の姿を見て、非常に恐れていたからです。

 十二弟子の一人であるイスカリオテと呼ばれるユダは、仲間と共にイエスに従って歩み、また会計係を務めてきました。けれども悲しいことに、ユダの心の中にサタンが入ったので、イエスに従おうとする彼の純粋な魂は汚れてしまいました。人間の欲望に目のくらんだユダは、祭司長たちや宮の守衛長たちのところへ出かけて行き、どのようにしてイエスを彼らに渡そうかと相談しました。ついにユダは『銀貨三十枚』でイエスを裏切ることになってしまいます。

二、ゲッセマネのそので園で(39−46節)

種なしのパンの祝いの日がやってきて、イエスは弟子たちと共に食拓に着き、最後の晩餐となるひとときを過ごされました。そして、そのあと、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子たちも

従いました。山の西斜面のふもと近くに「ゲッセマネ」という名の園があり、そこはイエスや弟子たちにとっては『いつもの場所』でした。イエスはゲッセマネに着くと、弟子たちから石を投げて届くほどのわずかな距離をおいた所で、ひざまずいて祈られました。ユダヤ人は立って祈ることを習慣としていたのですから、イエスがいかにご自身を低くされ、父なる神の前に切に祈り求めておられたかがわかります。

 イエスはいったい、どんな祈りをされたのでしょうか。42節を読みましょう。

 イエスはご自身が『世の罪を除く神の小羊』として人間の世に来られ、これから人間には理解できないほどの苦難に直面するのだということを知っておられたため、『できることならそうしないでください』と叫び、苦悶を味わわれました。しかし、それから御顔を十字架に向け『わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。』と祈られました。耐え難いほどの苦しみに直面しつつも、神に一切をゆだねきり神のご計画を第一とする姿こそ、神が私たちに求めておられる『祈り』の根本の姿ではないでしょうか。未使いが現れて力づけなければならないほど弱り果てたイエスは、さらに苦しみもだえて、より一層、真剣に祈られました。四十四節を読みましょう。イエスは罪のない神のひとり子でありながら、すべての人の罪を背負って、罪に対する

神の『怒りの杯』(イザヤ51章17)を受け、父から捨てられなければならなかったのです。

 イエスが祈り終わって弟子たちのところに来られると、彼らは眠り込んでしまっていました。ー

『祈っていなさい』と言われたのにーイエスが一人で苦しい祈りをささげておられたのに、睡魔に勝つことができなかったのです。

イエスはもう一度『起きて、誘惑に陥らないように祈っていなさい』といわれました。信仰の戦いにおいて、サタンの力に勝利する最良の方法は、ただひたすら祈ることだけです。イエスがまだ話しておられる時、十二弟子の一人、ユダが群衆と共にやって来ました。打ち合わせどうり、兵隊たちはイエスを捕らえ、大祭司の家に連れて行ってしまいました。

(祈りましょう) 

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