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(2017-10-29の週報より)

「わたしは命のパンです」

  

主題  わたしはいのちのパンです。(ヨハネ6章1−15、35−51節)
 わたしはいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は
 わたしはいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は
どんなときにも、決して渇くことがありません。     (ヨハネ6章35節)
 ヨハネの福音書には『わたしは……である』と宣言された、主イエスのことばが多い。その一つがこの聖句で、イエスはパンの奇跡を行われ、また自らいのちのパンであると言われた。それは、優れたメシヤ宣言である。イエスを信じる者は決して飢えることがない。


一、わたしはパンを与える(ヨハネ6章1−15節)
 主イエスは、少年が持つていたパン五つと魚二匹で、五千人の群衆を養われた。それらを分け与えると、限りなく増え、すべての必要が満たされた。それは『しるし』といわれと言われているが、神の力によって行われた奇跡であり、人々は『この方こそ、世に来られるはづの預言者だ』と言った。約束のメシヤを暗示しいている。その方は、私たちのパンの必要を豊かに満たしてくださる。そこで、彼らは、自分たちの王としようとしたのである(15節)。それだけに『あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満足したからです、なくなる食べ物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい』(26、27節)と言われたことばは鋭い。


二、わたしはいのちのパンである(35−40節)
 人間が生きていくために、必要なパンとは何か。食べればなくなるパンとともに、永遠のいのちに至るパンがある。主イエスは言われた『わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく……』(35節)それは、単なる象徴的な表現ではなく、霊的実在の宣言である。人が人として生きていくために、物質的なパンより、神からのパンが必要である(マタイ4章4節)
 これは、今日の聖餐式において語られているように、主イエスを信じ、そのいのちにあずかることである。それによって、人間の深い飢えと渇きは満たされ、永遠のいのちに至るのである。そして、それは終わりの日のよみがえりの日において完成する。


三、わたしはいけるパンである。(41−51節)
 イエスが『わたしは天から下って来たパンである』と言われたことは、ユダヤ人を強く刺激した。それは、メシヤである宣言でもあり、とうていゆるすことのできないことであると思ったからである。それに対し、主イエスは『わたしはいのちのパンです。(46節)と 繰り返し語り、さらに『わたしは天から下って来た生けるパンです』(51節)と言われた。これはただいのちを与えるパンであるという以上に、神から遣わされたメシヤである、という宣言である。
 イエスは、神から遣わされたメシヤであり、信じる者には永遠のいのちが与えられる。『だれでも、このパンを食べるなら、永遠に生きます』このパンを食べるとは『わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む』とも言われているように、聖餐式を思い起こさせる。その最も大切な意味は、生ける救い主である主イエスを信じ、そのいのちと人格に預かり、終わりの日のよみがえりの希望に生きることである、それによって、私たちの魂は満たされ、永遠のいのちに生きることができる。 
   

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