すべてのメッセージのタイトル一覧
(2017-01-28の週報より)

「主にささげる」

  

一、貧しいやもめの献金(マルコ12章41−44節

 エルサレム神殿には,ラッパ状の受け口が13ある献金箱が置かれていました。多くの金持ちが大金を投げ入れていました。一人の貧しいやもめは『レプタ銅貨(最もを少額の硬貨)を二つ』投げ入れました。それを見て居られたイエスは、弟子たちを呼び寄せて『この貧しいやもめは,献金箱に投げ入れたどの人よりもたくさん投げ入れました』と言われました』と言われます。金持ちは、大金と言っても、有り余る中からほんの一部をなげいれたにすぎません。貧しいやもめにとって、その少額の献金は、まさに『あるだけ全部、生活費の全部』でした。主にささげるしるしとしての献金の価値は,主にすべてをゆだねた生きた方があかしされていることです。

二、自分自身をささげる(Ⅱコリント8章一−6節)

 Ⅱコリント8,9章は、パウロが献金について勧めている箇所です。この献金は、パウロが自分の働きの必要のために要請しているものではなく、おそrくエルサレム会議の取り決めと思われるが(ガラテヤ2章10節)エルサレム教会の貧しい聖徒たちを助けるためのものでした(ローマ15章26、27)この献金の要請を、パウロはガラテヤの諸教会やマケドニヤの諸教会にもしていました。この諸教会の信徒たちの献金は『激しい試練の中にあっても,彼らの満ちあふれる喜びは,その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、惜しみなく施す富と鳴った』といわれる。それは彼らが『まず自分自身を主にささげ」ていたからで,彼らの献金は彼らの献身の結果にほかならなりません。

三、この恵みのわざに富む(Ⅱコリント8章7−15節)

 そしてパウロは、コリントの信徒たちに(また私たちにも)、『この恵みのわざにも富むものになってください」と勧めています(7節)。ここで献金のことが『恵みのわざ』と呼ばれているのに注目したい。飛んで居られた主が、私たちの為に貧しくなられ(その極みが十字架の死) 、その主の貧しさ(十字架の死)によって,私たちは富む者(御国を相続する者)とされています。この『恵み』を体験したキリスト者はこの恵みをくださった主キリストへの感謝と喜びにあふれ、喜んで『自分自身を主に捧げるようになり,おのずから『献金』にも富む者になるのです。

 

 

 

 

聖書箇所を検索:マルコ福音書(結果はページ右に表示されます)
福音書の主な出来事:該当なし



 

Copyright (c) 東大阪キリスト教会