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![]() (2010-06-13の週報より)
「神は愛なり」
私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。 (ローマ5章8節)
一、十字架の死の理由(ローマ5章1−6節)
6節を読んで下さい。『キリストが『定められた時に』死んで下さったたと書いてあります。
イエスが私たちのために死なれたということがどういう意味をもっているか、考えたことがありますか。人間はだれでも死にたくないものです。それも他人のた めに、自分から進んで死ぬなんてとんでもないことだと思いませんか。7節を読んで下さい。本当にそのとうりですね。けれど、イエスは『私たちのために死ん でくださった』のです。8節を読みましょう。イエスがご自分の命を捨てられたのは『正しい人』でも『情け深い人』でもなく、罪人であり、不敬虔な者のた め、つまりイエスに反逆していた私たちのためだったのです。
それでは、神がそれほどの愛を示して下さった十字架によって、私たちはどのようになったのでしょうか。まづ、10節の前半を見て下さい。十字架の結果の一 つ目、十字架によって神と和解ができたことです。今まで神に背き、敵対していた人間が、十字架によって神と仲直りしたのです。 このような素晴 らしい恵みは、すべてイエスが私たちのためにかかって下さった十字架の結果です。今日の聖書箇所を読んで『キリストによって』ということばや同じような意 味の言葉が何回出てくるのか数えてください。イエス・キリストこそ救いの条件です。イエスによる以外私たちが救われる方法はないのです。使徒4章12節を 読みましょう。 聖書箇所を検索:ローマ人への手紙(結果はページ右に表示されます)
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