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(2010-10-17の週報より)

「神に喜ばれる祈り」

  

だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。                      (ルカ18章14節)
主イエスは「主の祈り」をはじめ、祷りについて多く教えられました。
マタイの福音書では、偽善者と異教徒の誤った祈りを戒められた後『主の祈り』を語られました。
 ルカの福音書には誤った祈りの戒めがなく『主の祈り』に続いて、熱心に祈り求めるように
勧めています (ルカ11章1ー13節)。主は、18章でも、失望せずに祈り続けるように諭し (1ー13節)、そしてパリサイ人と取税人の祈りについて語られます。
そこで、真実の信仰と同じように、主に喜ばれる祈りとは何かについて語っておられます。

一、パリサイ人の祈り(ルカ18章11、12節)

 パリサイ人は自分の正しさを訴え、どんなに立派な行いをしているかを強調して祈りました。
確かに、彼は正しく、立派でした。
それは、当時のパリサイ人たちの宗教的生活と社会的貢献を調べれば、よく分かることです。
私たちは、そのことを過小評価してはなりません。
しかし、彼らのその正しさの背後に、あまりにも強烈な自己義認と義認と他者への批判がありました。
その態度が、しばしば問題を生み出しました。それは神が最も忌み嫌われるものであり『心の思いの高ぶっている者を追い散ら』される (ルカ1章51節)。
私たちは、祈る時、偽善者の誇り、異教徒の押しつけ、パリサイ人の自己義認に
陥らないように心しましょう。

二、取税人の祈り(ルカ18章13節)

 取税人は、ユダヤ人の世界では、最も嫌われ、社会的な評価も低かったのです。
それは神への態度、祈りの姿勢にも表れていました。
彼は、遠く離れて立ち、自分の胸をたたきながら『神さま、こんな罪人の私をあわれんでください』
と祈りました。そこには、砕かれ、悔い改めた魂があります。
主イエスは、つぶやき批判するパリサイ人たちに答えて『わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです』(ルカ5章32節)と言われました。
取税人は、社会的に批判され、自分の罪を知って、祈りにおいてもただひたすら神のあわれみを求めたのです。そして、そこには、心からの悔い改めがありました。
預言者イザヤは、神のことばとして次のように語っています。
『わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ』(イザヤ66章2節)。

三、神に喜ばれる祈り(ルカ18章14節)

 主イエスは言われました。『あなたがたに言うが、この人、義と認められて家に帰りました。
ここで『義と認められた』とは『神に受け入れられた』という意味であっていわゆる義人のことではありません。本当の義人は、いわゆる立派な人のことではなく、悔い改め、信仰によって義とされた者のことです。

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