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(2011-02-06の週報より)

「いのちのパン」

  

わたしがいのちのパンです。(ヨハネ6章35節)

I am the bread of life: ( John 6 : 35 )

 

一、イエスは弟子たちの信仰を試される(ヨハネ6章1−9節) イエスの奇跡の業についての噂は広く伝わり、大勢の人々がイエスのそばに押し寄せて きました。イエスは、その群衆をご覧になり、弟子の一人であるピリポに質問をなさいました。5節を読みましょう。イエスは、私たちの必要のために実に細や かに配慮してくださる方です。主イエスは、ご自身につき従う人々の食事の心配をなさったのでした。
 そこには男性だけで五千人いたと記されていま す。女性や子供を数に入れると、きっと、1万人は軽く超えていたに違いありません。少々の努力をしたところで、私たち人間には不可能なことです。弟子たち も、最初からまったくあきらめた態度でイエスの質問に答えています。7ー9節を読んでください。弟子たちは、人間の目から見て、ごく当たり前の常識的な判 断をしたのです。
 しかし、弟子たちは、とても大切なことを忘れていました。自分たちの目の前におられるお方は神ご自身であることを、そして、神 である主イエスには不可能なことは何一つないということをです。イエスはそのことを弟子たちに気づかせるために、あえてあのような問いかけをなさったので した。


二、豊かに用い、養われる主イエス(ヨハネ6章10ー15節)
 イエスは、少年がささげたわずかなパンを用いて、不思議な方法で、そこに集まっている人々が満腹になるまで十分に食べさせてくださいました。それだけではありません。残ったパンをかき集めると、12のかごいっぱいになるほどだったのです。
  私たちはしばしば、自分に与えられた物や環境や能力を眺めて、自分にはこれだけしかない、これでは何もできないと嘆くことはないでしょうか。少年が手持ち のわずかな食べ物をイエスに役立てていただこうと差し出したように、私たちも、わずかに思える自分の力や能力を主の前に差し出すならば、私たちが驚くよう な方法で、主はそれを豊かにし大きく大きく用いてくださいます。


三、主イエスは『いのちのパン』です。(ヨハネ6章22ー40節)
  その次の日、対岸に向かったイエスを群衆は、追いかけました。彼らはイエスを、ただ空腹を満たしてくださる方としてしか見てませんでした。そんな彼らに、 主イエスは『永遠のいのちに至る食物』(27節) についてお話になりました。勿論体の栄養は大切です。しかし、それだけを満たされても、私たち幸せにはなれません。本当の喜び、生きがい満足というもの は、私たちの魂が満たされてこそ、得られるものです。私たちの魂が満たされてこそ、得られるものです。私たちの魂の渇きを本当に満たしてくださるのは『い のちのパン』(35節)である主イエスご自身なのです。
34、35節を読みましょう。私たちも、主イエスのもとに行き、この方を信じましょう。そうするなら、私たちは本当の満足を頂くことができるのです。

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