すべてのメッセージのタイトル一覧
(2020-04-19の週報より)

「エマオへの道」

  

主題 エマオへの道で
    復活の主イエスは、ご自分について書いてある聖書を説明された。

聖句=道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたでは
   ないか                    (ルカ24章32節)   

*クリスチャンは復活を信じているが、単に、わけもわからず『復活』という二文字を掲げているわけではありません。むしろ、聖書の証言に耳を傾け、注意深くその説明を聞くならば、そこに、聖霊の働きがあり、
心のうちに復活に対する信仰が燃やされるようになるのです。

聖書箇所=ルカ24章13ー35節)


一、エマオに向かう弟子(13−16節)


 13節の「ちょうどこの日」というのは、主イエスがよみがえられた日のことです。悲しみと恐れで満ちていた弟子たちに、主イエスが復活されたという知らせが届けられました。ペテロとヨハネは墓が空であることを確認して戻ってきたのですが、それでも弟子たちは、主イエスの復活を信じられないでいました。
 この日、二人の弟子たちはエマオという村に向かう途中、このことばかり話し合っていたのです。
 いつの間にか主イエスが近づいてきて彼らと一緒に歩いておられました。しかし、二人は心の目が遮られていたので、この方がイエスだということがわかりません。


二、イエスと語り合う(17−27節)


『歩きながら何を話しているのですか』とイエスがお尋ねになりました。エルサレム中がこの話で持ちきりなのに、なぜこの人は知らないのだろうといぶかりながら、二人は立ち止まりました。クレオパが答えました『ナザレ人イエスのことです。』クレオパは自分たちの知っているイエスのことを同行者に話して聞かせました。そのことばからは、彼がどれほどイエスを愛し、イエスに期待を寄せていたかが伝わってきます。と同時に、この日起こったことを理解できないでいる弟子たちの重苦しさも伝わってきます。
 主イエスは彼らの不信仰と心の鈍さを指摘して、おっしゃいました。25、26節を読みましょう。
 それから、旧約聖書の初めから全体にわたって、ご自分について書いてあることを、二人に説明なさいました。イエスの十字架と復活は全て、、聖書の預言の成就なのです。二人の弟子の心は喜びで満ち、燃えるようでした。


三、目が開かれる(28−35節)


 エマオに近ずいて来ました。イエスがまだ先に行きそうなご様子だったので、クレオパたちは、一緒に泊まっていただきたいと無理にお願いしました。もっと、この方と共にいたい、そしてこの方から聖書の説き明かしを聞いていたいと思ったからでしょう。
 食卓に着くと、イエスがパンを取って祝福し、裂いて二人にお渡しになりました。その時、二人は初めて、この方が主イエスだとわかったのです。その瞬間、イエスは彼らから見えなくなってしまわれました。
 燃える心と喜びをもって、二人は直ちにエルサレムに引き返し、弟子たちが集まっているところに行きました。皆が『主イエスは復活なさった』と話していました。クレオパたちもみなに、エマオへの途上でイエスに会い、聖書からイエスについて教えていただいたこと、パンを裂いてくださった時に主イエスだとわかったことを話しました。
(祈りましょう)

聖書箇所を検索:ルカ福音書(結果はページ右に表示されます)
福音書の主な出来事:該当なし



 

Copyright (c) 東大阪キリスト教会