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(2011-02-13の週報より)

「わたしは世の光です」

  

『私は世の光である』 (ヨハネ9章5節)


一、イエスに出会った生れつきの盲人(ヨハネ9章1−5節)
 イエスは、 道の途中で、生れつきの盲人に出会われました。目が見えないため、自分で生計を立てるすべをもたず、地べたに座って物乞いをしていたのでした。弟子たちは この人を見て、イエスに質問をしました。2節を読んでください。当時、体に障害があったり病気にかかったりしているのは、その人や祖先の罪のせいであると 考えられていたので、誰の罪が原因でその目が見えなくなったのか素朴な疑問を感じたのでしょう。しかし、イエスの答えは、弟子たちにとって意外なものでし た。3節を読みましょう。その人の目が見えないのは、罪が原因なのではなく、むしろ、神の業がその人の上に示されるためであると、おっしゃったのです。
  私たちも、肉体的な弱さ、性格的弱さ、能力のなさなど、様々な弱さを抱えています。そしてそのことのために悩みます。しかし、この人が、盲人であったため に主と出合い、これから学ぶように、いやしを通して主の恵みを自分のものとすることができたように、私たちも、弱さがあればこそ、主を求め、主と出合い、 主の恵みを体験することができるのです。この世の罪の闇の中で満足しきって生きるよりも、自分の弱さや足りなさを通して光であるイエスに目が開かれ、主の 光であるイエスに目が開かれ、主の光に従って生きるほうが、よほど幸いな人生なのではないでしょうか


二、いやされた人のあかし(ヨハネ9章6−34節)
  6、7節を読みましょう。生れつきの盲人の目がすっかりいやされ、初めて周囲の景色をはっきり見ることができた新鮮な驚きと喜びはどれほどのものであった か、主の癒しの御業は、確かな恵みの経験として、この人の心にしっかりと刻まれました。そして,パリサイ人の仕打ちを恐れることなく、大胆にこのことをあ かししたのです。15ー34節を読んでください。主は、私たち一人一人にも、罪から救い神の子としてくださるという大きな御業をなしてくださいました。で すから,私たちも、自分に表された主の恵みの御業を、大胆に,勇気をもってあかしする者となります。


三、ご自身を明らかになさったイエス(ヨハネ9章35ー41節)
  いやされた盲人が会堂から追放されてしまったことを聞いたイエスは、この人を探し、見つけ出してくださいました。主は、ご自身に従う者を、決して捨てた り、見放したりなさらない方なのです。そして、ご自身が救い主であることを示し、この人もはっきり信仰を告白したのです。36、38節を読みましょう。生 れつきの盲人は肉体の目だけではなく、心の目も開いていただき、イエスの光をはっきりと見ることができました。自分には罪がない、私は正しいと言っている 人は、心が盲目なのです。私たちも、心の中にある罪を取り除いていただきましょう。主は、その光で私たちの心を照らし、罪を示して下さいますから、素直に 主の前に悔い改め、罪赦された者として歩んでいきしょう。そして道しるべである主の光から目を離さないで人生を一歩一歩主と共に歩む者となろうではありま せんか。

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