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(2019-05-12の週報より)

「神は正しい方である」

  

主題  神は正しい方である。            
     義なる神は、罪をさばかれる。
聖句  神は正しく、正義を愛される。(詩篇11・7a)
*神は愛してくださる方、やさしくゆるしてくださる方として、私たちはいつも身近に覚えています。
しかし、神はきよい正しい御方でもあります。ですから、罪を見逃すことができません。それが人の目には隠されたことであっても、神の前には明らかにされるのです。
 罪の本当の姿と、その結果を聖書から学びましょう。
聖書箇所=ヨシュア7章


一、神は義である(ヨシュア7章1節)

イスラエル人は、あの強固な町エリコ攻撃に勝利を収めました。しかし、たった一人のアカンという人の罪(聖絶のものとして、エリコの町と住民と所有物は主にささげられたものであった。その中の
人々や動物は絶滅させ、また金や銀は主の宝物倉に納められることになっていた。しかし、アカンはその中の幾つかの物を取ってしまった)によって主の怒りがイスラエル人全体に臨んだのです。義なる神は、隠れたアカンの罪を見過ごすことはなさいませんでした。
 私たち自身も、見て欲しくなり、取り、隠してしまうという罪を犯しやすいものですが、どんな罪も、神の正しさの故に嫌われ、さばかれるのです。神の前に悔い改め、従順な信仰を持ちたいものです。


二、神は真実である(2ー9節)

さてイスラエルの人々はエリコ攻略の次にアイを攻めることになりました。アイを偵察した者たちは、アイの人たちはわずかなので攻めるときには、23千人ほどで十分勝てるだろうと予測しました。
 ところが、アイの町では大敗北という惨めな結果を味あわなければなりませんでした。そのような中で、リーダーのヨシュアは深く悲しみ、落胆し、主の前に長老たちと共にひれ伏して祈ったのです。そして、主の答えを待ちました。ヨシュアは、神の栄光のために、真剣に神の民の将来を考えていたのです。

三、神は聖である(10ー26節)

ところが、主のお答えは『イスラエルは罪を犯した』ということばでした。そのため敵に敗北したのであるから、まずその罪を取り除き、民をきよめなければならない、といわれるのです。ヨシュアにとって、思いもよらないことでした。
 実際はアカンが罪を犯したのですが、個人の罪は全体の罪であり、罪の結果は全体に及ぶのです。これは私たちも、重大なこととして心に留めなければなりません。欲望やねたみ、物質主義が、神の御心を悲しませます。それは私たち自身の生き方をも駄目にしてしまうのです。アカンは、丁度アダムやエバのように罪を犯してしまいました。そして『欲がはらむと……死を産みます』というヤコブ1章15節のように、アカンはアコルの谷でさばきを受けたのです。
 私たちは、このように『罪』を犯すことの重大さを考えずに歩んでいることが多いのですが、しかしアカンの姿を見ると、罪がどんなに恐ろしいものであるかがわかります。私たちは心の隙に、様々な罪の誘惑を受けますが、信仰の力によって、それに打ち勝つことが出来るように祈りましょう。
 Ⅰテモテ6章6−10を読みましょう。神に喜ばれる心で歩むためには、神の御霊の力が必要です。
神を信じている者に与えられている『聖霊』によって弱さに打ち勝つ力が与えられます『主よ。あなたとの間に私がまだ悔い改めていない罪がありますか』と祈りつつ歩んでゆきましょう。いつも主に喜ばれることを行って、本当の心の満足を経験させていただきましょう。
(祈りましょう)

 

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