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(2018-06-10の週報より)

「父の愛」

  

 

 父の愛と役割を知って、尊敬し従う。

聖書箇所   ルカ15章11−24、Ⅰテサロニケ2章11、12、エペソ6章1−3

     こどもたちよ。主にあって両親に従いなさい。 (エペソ6章1a)

一、父の愛(ルカ15・11−24、⒈テサロニケ2・11、12)

まず、主イエスの語られた放蕩息子例えから学びます。(ルカ15章11、12)を読みましょう。        二人の兄弟のうちの弟が、父に当然のことのように財産の分け前を要求しました。ユダヤの律法に従って、いづれ弟息子にも父の財産が分配されます。けれど、父親が元気なうちに、自分のほうから要求するとは、

なんということでしょう。これでは父の遺産を『死ぬのが待ち切れませんから、今、下さい』と言っているのと同じです。しかし父は、彼の要求を聞き入れて、弟息子に財産を分けてやりました。

 こんな方法で親から与えられた財産が、有意義に使われるはずがありません。13−16節を読み、財産

をもらったからの彼の生活をたどりましょう。最後には、ユダヤ人が汚れた動物としてとても嫌っている豚の世話に雇われ、そのエサを食べたいと思うほどに飢えて、それさえも誰もくれないほど、落ちぶれてしまいました。

 このようなどん底の苦しみを味わって、彼はやっと、彼は自分が神と父にとに対して大きな罪を犯したことに気づきました(18、21節)それで、今までの罪を心から悔いて、息子としてではなく、雇人として

働かせてもらうつもりで、家に戻る決心をしました(17ー19節)

 ところが父は、疲れ切った姿で家に向かって来る息子を、遠くに見つけた途端に、自分のほうから走って

出迎え、彼を両腕にしっかりと抱きしめたのです。なんと感動的な情景でしょうか。たぶん父は、息子が帰って来るのを、毎日神に祈りながら待ち続けていたのでしょう。そればかりではありません。罪を悔い改めた、彼をいままでどうりに息子として受け入れ盛大な祝宴を開いたのです(21ー24節)。息子は初めて、息子を思う父の気持ちが理解できたのではないでしょうか。

 この父のように、神を信じている親は、子供たちが、神のみこころにふさわしく成長することを強く願います。いえ、神を信じていない親も、良心を与えられていますから、子供が正しく歩むことを望み、励ましたり、厳しく戒めたりするのです。(Ⅰテサロニケ2章1112、)

 

二、両親に従いなさい。(エペソ6章1−3節)

 

 子供が両親に従うべき理由は次の三点に見られます。①『これは正しいことだからです』(1節)

創造者なる神が定められた秩序であり、聖書のみことばによらなくても、すべての人の心に記されている人間の生きる道でもあります。② 神がモーセによって与えられた律法です。ユダヤ人は、十戒の『あなたの父と母を敬え』という戒めを、神にかかわる戒めとして、教えてました。そこには、両親は、地上での神の代理者である。という理解があります。神は、ご自身の愛と権威を仲介する役割を両親に与えられました。

ゆえに、契約の民の間においては、両親を敬うことと、神を敬うことは切り離せません。この戒めが『第一の戒め』(二節)といわれるのは隣人に関する最初のものというより、以上の理解を背景とした、この戒めの重要度を指しています。両親に敬うことがそれほど大切な戒めなので、旧約聖書では、両親を呪う者や両親に従うことを拒む者に対して、非常に厳しい罰が科されます(参・レビ20章9)。反対に、両親を敬う者に対して、神は、大きな祝福を約束されるのです(三節)。③『主にあって』(一節)両親に従うことは、福音にあって主イエスに従うことの一部です。受肉した罪のない神の子が、罪人である両親に『仕えられた』ルカ2章51。エペソ6・1の『従う』と同じ) ことは、主があらゆる点で律法を全うされたことを示すとともに、私たちの模範でもあります。

 

 

参考=父の日について

 父親の日頃の労苦・慈愛を称え、感謝をささげる日。六月の第三日曜日を当てる

米国のJBダッド夫人がこの日、父の墓に白バラの花を捧げたという。

 

 

 

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