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(2017-01-01の週報より)

「人の子は安息日の主です」

  

明けましておめでとうございます。2017年のお正月です。新しい年、私たちはもう一度、決意を新たに神と共に歩みましょう。そのために、大切なことはまず礼拝を捧げることです。そのため、最も大切なこととされている主のおことばに『安息日を覚えてこれを聖としなさい』とあります。今日は、このみことばから学んでまいりましょう。


一、安息日の戒め ルカ6章
 週の七日目を安息日として守ることは『十戒』の第四に教えられている大切な戒めです。
『安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。』(出エジプト20章8−10節)
 イエスが地上におられた当時のユダヤ教社会は、律法遵守に熱心であったパリサイ人の影響で、たくさんの具体的禁止条項の盛られた安息日律法でがんじがらめにされていました。その束縛から人々を解放してくださるイエスは、まさに『しいたげられている人々を自由にし、主の恵みの年を告げ知らせるために来られた方です。(ルカ4章18、19節)


二、大胆で自由にふるまわれたイエス(ルカ6章1−11節)
 イエスが安息日に対し、当時としては極めて大胆で自由なふるまいをされた例が今回の聖書箇所に二つ紹介されています。イエス御自身は、安息日には会堂で礼拝を守り、神と交わり、人と交わる安息の時を大切にされました。安息日の真の精神を尊び、それを実現することに心を傾けられたのです。
 そのイエスの目からごらんになると、緊急事態の中で飢えた者に食物を与え、急病人を癒すことは、安息日に禁じられているのではなく、安息日だからこそ余計にそうしてあげるべきことなのです。イエスは私たち一人一人に『安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか、いのちを救うことなのか、それとも失うことなのか、どうですか』と問いかけておられます。
三、『安息日の主』にあって福音の喜びに生きる。(5節)


 イエスは、よく御自分のことを「人の子」と呼ばれます。そして『人の子は、安息日の主です』と宣言されています。それはイエスこそ、種々の細かい規則でがんじがらめにされている律法主義の束縛から安息日を解放し、それを自由と愛と喜びに生きる日としてくださるお方であることを意味しています。
 主イエスご自身が、自由と愛に満ち溢れ、その中に生きておられることにおいて、まさに(安息そのもの)であられます。十字架につけられて死に、三日目に死者の中から復活された方として、イエスは私たち一人一人に、無条件の赦しと永遠のいのちを豊かに与えてくださる安息日の主であられます。この安息日の主と共に歩む信仰が、私たちに限りない安息をもたらしてくれるのです。
 今や安息日の主によって、安息日律法は(その真の目的が満たされて ) 実質的には廃棄されて、キリストの福音の喜びに生きる日々が実現しました。その揺るぎないあかしとして、キリスト者は週の初めに日(主の日)として礼拝のために集まっています。

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