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(2016-10-08の週報より)

「病気を治す」

  

彼が私たちのわずらいを身に受け、私たちの病を背負った。(マタイ8章17節b)


一、救い主に叫び続ける盲人(ルカ18章35−39節)
 イエスの一行がエリコの町に近づきました。12弟子はもちろん、イエスを慕う群衆がぞろぞろと後に続いています。賑やかな行列の気配を感じた盲人は、いったい何事かと思いました。初めは単純な好奇心で人に尋ねましたが、イエスがお通りになると知らされた途端、彼は叫び始めたのです。『ダビデの子のイエス様。私をあわれんでください』とどんなに止められても、イエスに出会えるこのチャンスを逃すことはできないという、盲人の必死の思いが伝わってきます。彼は、今まで耳にしたイエスの教えや行動を通して、イエスこそ本当の救い主だと信じていたのです。人々が『ナザレのイエスがお通りになる』と知らせたのに対して『ダビデの子のイエスさま』と呼びかけていることからも、彼のイエスに対する信仰がわかります。


二、救い主の招きと癒し(40−43節)
 さて、盲人を御自分のもとに招かれたイエスは『何をして欲しいか』と問いかけられました。盲人は即座に『見えるようになることです』と答えました(41節)。私たち人間が道端の盲人をどんなに気の毒だと思っても、手助けできることには限りがあります。わずかな食料や金銭でさえも、持ち合わせていなければあげることはできません。勿論、受ける立場の盲人もそれを承知していますから、今日は何か恵んでくれる人がいるだろうか、どのようにして命を支えられるだろうかと、毎日毎日心細い思いで施しを求めていたことでしょう。けれどもイエスは、私たちの病も罪もすべて十字架で身に引き受けてくださったお方です。そして、イエスのもとに行く者が最も必要としているものを、与えることがおできになるお方なのです。盲人は、イエスがそのようなお方であると信じましたから、ためらわずに、彼にとって一番必要なものを求めたのです。
 イエスは、盲人の純粋な信仰に応えみことばによって、その場で彼に光を与えてくださいました。救い主イエスの噂を聞いて以来、ひたすらイエスとの出会いを待ち望んでいた彼にとって、それはどんなに大きな喜びだったでしょうか。


三、神をあがめてイエスに従う。(43節B)
 目を開かれた彼は、心から神を賛美しました。そして、十字架にかかるための旅を続けられるイエスに従いました。
 イエスは私たちにも『何をしてほしいのか』問いかけてくださっておられます。今のあなたが一番望んでいるものは何でしょうか。それはあなたの人生の中で、本当に何物にも代えられないほど大切なものなのでしょうか。この盲人は富や名誉ではなく、ただ、目が開かれることを願って、暗闇から救い出され、イエスに従いました。そのように私たちも、霊の目が開かれて、罪の暗闇から解放されるように心からイエスに願い求めましょう。
  

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