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(2016-04-24の週報より)

「イエス・キリストの救い」

  

御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめます。(Ⅰヨハネ1章7節)


一、罪人を招くために(ルカ5章27ー32節)
 当時、ユダヤはローマ帝国の植民地になっていたので、ローマ政府に税金を納めなければなりませんでした。住民から税金を取り立てる仕事を請け負っていたのが、ここに出てくる取税人です。取税人は、ユダヤ人でありながらローマ人の手先であるといって嫌われていました。取税人の中には、規定以上の金額を取り立てて私腹を肥やす者も多かったので盗人扱いされていました。その取税人の一人であるレビ『マタイ』が、イエスに招かれて弟子になったのです。裕福ではあるが決して心が満たされているとは言えなかった彼は、イエスが目を留めてくださったことを喜んで、イエスを食事に招きました。取税人の仲間や律法を守らないために『罪人』と呼ばれている人たちも同席していました。それを見とがめる人たちもいました。自分たちこそ敬虔な暮らしをしていると自負しているパリサイ人たちです。彼らは何とかしてイエスをやりこめようとしていたのです。イエスの答えを見ましょう。これこそ、神のひとり子イエスがこの世に来られた目的でした。イエスが『わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来た』と言われたのは、自分が罪人だと認める人だけが救われるということを意味します。


二、罪を悔い改める(ローマ3章19ー36節)
 自分は絶対に罪を犯していない、という人がいます。確かに法を犯すようなことをしていない人は大勢います。義人と言われ、世の人々のために貢献した人も数えきれません。けれども聖書は『すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができ』ない
と書いてあります。聖書で言う罪と、世の中で言う罪とは、何が違っているのでしょう。
 警察の取り締まりの対象になる犯罪を刑法上の罪と言います。これに対して、法に触れない道徳上の罪があります。ローマ1章29−31を読みましょう。聖書は、表面に現れた罪だけではなく、人の心に潜む罪の根を問題にしています。すべての罪悪は、この罪の根から出ているのです。罪は、神への不従順から始まりました。罪の原因は神を認めない自己中心な生き方です神を信じ、このような罪が自分にあることをまず認めて神の前に悔い改め、赦していただかなければ、罪からの解放されることはないのです。


三、死から永遠のいのちへ(エペソ2章1−3、ローマ6章23節)ロマ6章23節に『罪から来る報酬は死です』とあります。何と厳しいことばでしょう。
私たちはよく『それくらい、平気、平気』と言って、ごまかしてしまうことがありますが、神は絶対に正しいお方なので、決して罪を見過ごしにはされません。しかし、同時に神は愛に満ち、あわれみ深い御方なので、私たちを助け出す方法を提供してくださいました。それがイエス・キリストです。ルカ5章32節を読みましょう。このイエス・キリストを信じる信仰によって、私たちは死を免れ、永遠のいのちを頂くことができます。それは、この体がいつまでも死なない、ということではありません。神に赦され、新しいいのちを頂いて、神と共に生きるということなのです。     

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