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(2016-04-03の週報より)

「死に勝利したイエス」

  

『しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえられました。』(使徒2章24節)


一、あなたがたは(使徒2章22、23節)
 イエスの復活と昇天の後に、聖霊がくだり、弟子たちの上にとどまりました。すると、彼らは聖霊に導かれて、異国のことばではなし始めたとあります。この不思議な出来事のため大勢の人が集まってきました。ペテロは、ほかの弟子たちと共に立って説教を始めたのです。
 ペテロは、特にイスラエルの人々に向かい、旧約聖書のみことばに基づいて、イエスを通してなされた神の御業を大胆に説明しました。神が、イエスを通して、力ある業、不思議な業 そしてあかしの奇跡をなさったと語ります。しかもこれらの不思議な奇跡は、ナザレのイエスこそがメシヤ (救い主) であることの「あかし」であると語ります。
 そして、世界で一番初めの説教で、ペテロは『この方を……あなた方は……十字架につけて殺しました。』と語りました。これは、今の時代においても、語られるべき普遍的なメッセージです。私たちの罪が、キリストを十字架にかけ、神の怒りが、私たちにではなく、身代わりとしての主イエスに注がれたからです。


二、復活の証人(24−32節)
 そしてペテロは続けます。イエスは十字架につけられて死んだが、神はこのお方をよみがえらせたと、しかも、それは、旧約聖書が最初から預言していたことだと主張します。
 イスラエル第二代の王ダビデが作った詩篇16編には『あなたは私のたましいをハデスに捨てて置かず、あなたの聖者が朽ち果てるのをお許しにならない』とあります。ペテロは、この詩編に出てくる「私」はこの詩編の作者のダビデではないと言います。というのは現にダビデの墓があるわけで、彼が死んだことは誰もが知っていると説明します。将来
ダビデの子孫として生まれて来る一人の人が、メシヤとしてこの世に現れ、その人が死後よみがえることをダビデが預言したとペテロは説明します。その預言の通り、イエスはよみがえり、自分こそがそのことの証人であると述べるのです。ペテロは、自分の体験だけに頼りませんでした。聖書の預言に基づいて説明したのです。


三、死は勝利に(Ⅰコリント15章54ー58節)
 イザヤは『死は勝利にのまれた』と言いました。どうして「のまれた」という表現を用いたのでしょうか。当時『死』は、人々を飲み込む大口を開けた恐ろしい怪物のように描写されていました。だから預言者は、それを逆手にとって、そんな恐ろしい怪物のような『死』がのみこまれるという反対の表現で、輝かしい救いの勝利を表現したのです。
 このみことばは、イエスが十字架につけられ死んで、三日の後に墓よりよみがえられたことによって実現しました。イエスが私たちの罪のために身代わりになって神からさばきを受けられたので、私たちの罪が除かれたのです。それによって、死に、私たちを刺すとげはなくなったと言います。死は最早私たちを脅かすことができなくなったということです。私たちの罪のゆえに、さばきとしての『死』が私たちを苦しめることになりましたが、罪が除かれたので、死に対する勝利がもたらされるのです。         *ロマ5章8ー11参照

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