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(2016-03-14の週報より)

「生き返ったラザロ」

  

『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです』(ヨハネ11章25節)


 死んだラザロを生き返らせたしるしは、イエスがなさった最大のしるしです。このしるしを伝えるエピソードは、死と命、死と復活を主張する内容豊かな物語です。ヨハネ11章25節と言われるイエスは死からよみがえられた復活の主として、生命をも支配しておられるのです。


一、ラザロは死んで四日も経っていた(ヨハネ11章1ー22節)
 ベタニヤのマルタとマリヤのことがルカ10章38節以下に出てきますが、姉妹にはラザロと言う兄弟がいました。彼らをイエスは『愛しておられた』(5節)。そのラザロが重い病気であると知らされても、すぐにはベタニヤに向かわず『もう一度ユダヤに行こう』と言ってベタニヤに着いた時は、死後四日も経っていました。ラザロの死は厳然たる事実でした。イエスを迎えに出たマルタとマリヤは残念そうに『主よ、もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに』(21、32節)息を引き取る前なら助かっても、死んで四日も経ったのではどうしょうもない、と思ったのも無理からぬことです。


二、『わたしはよみがえりです。いのちです』(23−27節)
 イエスはマリヤに向かって『あなたの兄弟はよみがえります』と言われた (23節)。彼女が『今でも私は知っております。あなたが神にお求めになることは何でも、神はお与えになります』(22節) と言ったので、それに答えてイエスが言われたのです。さらにマルタは『私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえるのを知っております』と答えますが。それは、彼女の信仰が教理的知識だけのものであったことを示しています。
 彼女の頭だけの信仰に挑戦するかのように、イエスは『わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。…… このことを信じますか25、26節と言われます。このことばを語られているのは、十字架に死んで葬られたが、三日目に死者の中からよみがえって、今も生きておられる復活の主・いのちの主です。復活のイエスのいのちは死を征服したいのち、まさに「死んでも生きるいのち」です。このいのちを、あなたは信じますか!


三、イエスが流された涙の秘密(28ー46節)
 泣き悲しむマリヤを見て、イエスも『涙を流された』(35節) 。そして『霊の憤りを覚えながら』墓に来ると、入り口の石を取りのけるように命じ、ためらうマルタに『もしあなたが信じるならあなたは神の栄光を見る』と言って、ラザロを生き返らせて下さったのです (38ー44節) 。イエスが流された深い同情の涙には、死からいのちを取り戻して、神の栄光を表さずにおかない決意と力が溢れています。『よみがえりであり、いのちである』御方として、イエスは、御自らの死をもって、死からいのちを取り戻してくださる。そのイエスが流される涙は、信じる者に罪の赦しと永遠のいのちを与え『神の栄光を見る』ようにさせる恵みと愛の力を無限に秘めて秘めているのです。

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