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(2016-03-06の週報より)

「世の光」

  

  わたしは世の光です。    (ヨハネ 9章 5節)

 一、『生まれつきの盲人』に遣わされたイエス(ヨハネ9章1−7節)
『生まれつきの』ということばの中に、どうすることも出来ない人間の絶望の響きが込められています。当時の考えでは、生まれつきの身障者は、それ自体が罪の結果と見なされていました。イエスの弟子たちも同じ考えだったのでイエスに『彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか』と尋ねました。その考えを否定して『神のわざがこの人に現れるためです。………わたしが世にいる間、わたしは世の光です』(3,5節) と言われたイエスは、地面につばきをし、つばきで泥を作り、その泥を盲目の人の目に塗ると、『行って、シロアムの池で洗いなさい』と言われます。愛に満ちた天の父が『遣わされた者(シロアム)こそ、イエスご自身です』


『シロアムの池で洗いなさい』とは、イエスが『わたしを信じなさい』と言われたことに等しいのです、
二、目が見えるようになった人のあかし(7ー34節)
 生まれつきの盲人は、イエスのことばに従い、シロアムの池で目を洗うと『見えるようになって、帰って行った』(7節)。イエスのことばに単純に従った結果ですが、彼はイエスのことを (預言者) と認めていても (17節)、それ以上のことは知らない。それでも、これだけの恵みにあずかったのです。この生まれつきの盲人は、とにかく預言者と信じてイエスにすべてを任せたのです。神の言葉を語るために『神から遣わされた者』であるイエスは、預言者の中の預言者であられます。
 目が見えるようになった人は、その事実を認めようとしない人々に『私は……ただ一つのことだけ知っています。私は盲目であったのに、今は見えると言うことです』とあかしし (25節)、『神は罪人の言うことはお聞きになりません。………もしあの方が神から出ておられるのでなかったら、何も出来ないはずです』と答えています (31ー33節)。


三、イエスはご自身を示される(35−41節)
 イエスが『神から遣わされた者』として盲人の目を見えるようにしたしるしは、それ以上のことを目指しています。それはご自身をその人に示し、彼を真にご自身と出会わせることでした。困難の中にあった彼を、イエスが見つけ出すようにして『あなたは人の子を信じますか』と声をかけられます。彼が『その方はどなたでしょう』と問うと『あなたはその方を見たのです。あなたと話しているのがそれです』と言ってイエスははっきりご自身を彼に示されました。(35ー37節)
 このように彼 (私たち) に示されるイエスの愛を『主よ。私は信じます』と告白して受ける信仰こそ彼 (私たち) の心の目を開いて、見えなかった霊的な世界 (神の国) を見えるようにしてくださいます。イエスこそ、闇の中を歩く人々を照らし、彼らの霊的な目を開いてくださる世の光なのです。

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