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(2016-02-28の週報より)

「湖の上を歩く」

  

『しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない』(マタイ14章27節)


 一、『わたしだ。恐れることはない』(ヨハネ6章20節、マタイ14章27節b )
 イエスは、弟子たちを休ませるために先に舟に乗せ、群衆を解散させたあと、祈るために山に登られました。神との静かな交わりは、力と勝利の秘訣です。しかし、弟子たちは、
逆風のために、湖の上で悩まされていました。夜中の三時頃、イエスは湖の上を歩いて、弟子たちに近づかれました。それを見た彼らは、『あれは幽霊だ』と叫び、すっかりおびえてしまいました。疲れと不安で、自分を見失ってしまっていたのでしょう。
 イエスは弟子たちに言われた『しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。』
 私たちも、人生の荒波の中で、自分を見失って恐れることがあります。そのとき、主は同じように呼びかけてくださいます。イエスを知った時、自分を取り戻すことが出来るのです。


二、『わたしだ。来なさい』(28、29節)
 その方がイエスであることを知った時、ペテロがいつものように『主よ、もしあなたでしたら、私も、水の上を歩いてここまで来い、と命じてください』と言った。軽く乗る、彼の性格がよく表れています。イエスが『来なさい』と言われると、彼は直ちに舟を出て、
水の上を歩いてイエスの方に歩き始めた、言われた通りにした時、彼は水の上を歩くことができたのです、
 信仰とはそのようなものです。たとえ、それが自然の法則や人間の常識に合わなくても、
主イエスが言われた通りにするとき、私たちは自分の力をはるかに超えたことをすることができる。神の力によって、不思議としるしを行うことが出来るのです。主イエスは、
今も手を差し伸べて『わたしだ。来なさい』と招いておられます。


三、『わたしだ。なぜ疑うのか』(30ー33節)
 ところが、ペテロは嵐を見て急に怖くなり、沈み始めました。自分を意識したり、状況を見渡すとき、イエスを見失って、不安と恐怖に襲われる。するとそれまで水の上を歩いていた者も、急に沈み始める。その時、イエスは手を伸ばしてペテロをつかみ、言われました『信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか』信仰の薄い人とは、信仰が小さい、信仰の足りない者という意味です。イエスを見失い、状況に心奪われ、疑い始めている者のことです。
 私たちも人生において、問題に直面したとき、そのことに心を奪われて、主イエス・キリストを見失ってしまう。すると、たちまち沈み始め、落ち込んでしまう。悩み苦しみ、それまでできていたことも、できなくなってしまいます。そのとき、主イエス果てを伸ばし『信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか』と呼びかけてくださいます。そして、イエスと一緒に舟に乗ると、風はやみ、すべて穏やかになる。神の子であるイエスが、共におられることを悟りましょう。

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