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(2016-02-21の週報より)

「いのちのパン」

  

『私が命のパンです。』(ヨハネ6章35節)

一、イエスは弟子たちに信仰を試される(ヨハネ6章1−9節)
 イエスの奇跡の業についての噂は広く伝わり、大勢の人々が、イエスのそばに押し寄せて来ました。イエスはこの群衆をごらんになり、弟子の一人であるピリポに質問をなさいました(5節)。イエスは、私たちの必要のために実に細やかに配慮をしてくださるお方です。主イエスは、ご自身につき従う人々の食事のご心配をなさったのでした。
 そこには男性だけでも五千人いたと記されています。女性や子供を入れると、きっと一万は軽く超えていたに違いありません。これだけの人の空腹を満たすことは、少々の努力をしたところで、私たち人間では不可能なことです。弟子たちも、最初からまったく諦めた態度でイエスの質問に答えています (7ー9節)。弟子たちは、人間の目から見て、ごく当たり前の常識的な判断をしたのです。
 しかし、弟子たちは、とても大切なことを忘れていました。自分たちの目の前におられる方は神ご自身であると言うこと、そして神には不可能な事は何一つないということです。
イエスは、そのことを弟子たちに気づかせるため、あえてあのような問いかけをなさったのです。


二、豊かに用い、養われる主イエス(10ー15節)
 イエスは少年がささげたわずかなパンと魚を用いて、不思議な方法で、そこに集まっている人々が満腹になるまで充分に食べさせてくださいました。それだけではありません。
残ったパンをかき集めると、十二のかごがいっぱいになるほどだったのです。
 私たちは時々、自分に与えられた物や環境や能力を眺めて、自分にはこれっぽっちしかない、これでは何も出来ないと嘆くことはないでしょうか。少年が手持ちのわずかな食べ物をイエスに役立てていただこうと差し出したように、私たちも、わずかに思える自分の力や能力を主の前に差し出すならば、私たちが驚くような方法で、主がそれを豊かにし、
大きく大きく用いてくださいます。


三、イエスは『いのちのパン』である(22ー40節)
 その次の日、対岸に向かったイエスを群衆は追いかけました。彼らはイエスを、ただ空腹を満たしてくださる方としか見ていませんでした。そんな彼らに、主イエスは『永遠のいのちに至る食物』(27節) についてお話になりました。勿論、体の栄養も大切です。でも、それだけ満たされても、私たちは幸せになれません。本当の喜び、生きがい、満足というものは、私たちの魂が満たされてこそ、得られるものです。私たちの魂を渇きから本当に満たしてくださるのは『いのちのパン』である主イエスご自身なのです (34,35節)。
 私たちも、主イエスのもとに行き、この方を信じましょう。そうするなら、私たちは本当の満足をいただくことが出来るのです。

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