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(2016-02-14の週報より)

「ベテスだの池」

  

神にとって不可能なことは一つもありません。(ルカ1章37節)

 一、イエスが問われた(ヨハネ5章1ー7節)
 エルサレムの羊の門の近くに、ベテスダという池がありそこに38年間も病気で苦しんでいる男がいました。その男に、イエスは尋ねられました。『良くなりたいか』やぼな問いのように思います。38年も苦しんでいたのです。治りたいのは当たり前ではないか。しかし、長く病気をしていると、希望を失って治りたいという気力さえ失ってしまうことも事実です。
 その男は、自分の意思をはっきりと表さないで『私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません』と答えています。よくなる気力を失いかけ、他人のせいにする考えがそこにあります。イエスはそのような思いを乗り越えて、生きることを求めて居られるのです。


二、イエスが言われた(8、9節)
 そこで、イエスは彼に言われた『起きて、床を取り上げて歩きなさい』非常に簡単なことばですが、その意味は豊かで深い。イエスが強調されたのは、彼の意思です。他人に頼るのでなく、自分の意思で起き上がること。次に彼の力です。他の人に頼るのでなく、自分の意思で起き上がり、歩き始めることです。それらは勿論信仰ににより、神の力により、神の力によるのですが、ここでは王家の役人の息子のいやしの場合と違って、彼の信仰と力によって立ち上がることが求められています。
『すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。』イエスが癒やされたのですが彼の力によって床を取り上げて歩き出したのです。私たちも自らの信仰によって、歩きだそう。そうすればその時、状況は変わり、人生は開けてきます。


三、イエスが勧められた。(10ー15節)
 その男が癒やされたのが安息日であったので問題になったが、論点はむしろ『床を取り上げて歩け』といったのは誰か (12節) です。ユダヤ人の指導者たちはイエスが安息日に癒やしたこと、ご自身を神と等しくされたことで (18節)、ついにイエスを殺そうと考えるようになります。しかし、この時、その男は、その人がだれであるかを知らなかった。
 イエスはその男に言われた。『見なさい。あなたはよくなった。もう罪を犯してはなりません。そうでないともっと悪いことがあなたの身に起こるから』よくなったことを告げ、励ましておられるのです。ただそれに続いて『罪を犯してはなりません』(14節)と戒められました。この説明句を読むとイエスは『病気は罪の結果である』と言われているように思われます。それは後期ユダヤ教の『病気は罪の結果』であるという思想の表れであるという解釈もあるが、むしろ信仰的な励ましの言葉であると理解するのがよいでしょう。
 イエスは、肉体的にいやし、霊的に勧めておられるのです。そこに愛があるのです。
  

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