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(2016-01-11の週報より)

「バプテスマのヨハネ」

  

 『見よ、世の罪を取り除く神の子羊(ヨハネ1章29節)

一、バプテスマのヨハネの登場 (マタイ3章1ー6節)
 イエスが人々の前に公に姿を現される少し前に、ヨハネという人がユダヤの荒野で教えていました。ヨハネはイエスの親戚で、誕生する前から、預言者としての使命を与えられていました (ルカ1章17)。その使命とは、イエスがおいでになる前に、人々が神の前に罪を認め、旧約聖書に約束された救い主を待ち望むように導くことでした。大勢の人々がヨハネのことばに心動かされ、遠くから訪れて、罪を告白し、ヨルダン川でバプテスマを受けていました。


二、主イエスのバプテスマ(マタイ3章13ー15節)
 当時、異邦人がユダヤ教に改宗する時、水の中で身体を洗うバプテスマの儀式が行われていましたが、ヨハネのバプテスマはそのような従来のものとはまったく意味が違いました。ヨハネは人々に、神の前にへりくだって罪を悔い改め、新しく神に従う生活に入るためのしるしとしてバプテスマを授けましたが、これは異邦人だけではなく、ユダヤ人も受けなければならないものでした。そのことによってヨハネは、すべての人が神の前に罪人であることをはっきり示したのです。イエスがガリラヤ地方から来てヨハネからバプテスマをうけようとされた時、、ヨハネがはっきりと断ったのも無理はありません。神の子であるイエスは罪のない方なのですから、罪を悔い改める必要も、バプテスマを受ける理由もまったくなかったからです。しかし、イエスはあえてお受けになりました。(15節)
 救い主として私たちの罪の身代わりになるためには、罪を除いて、完全に私たちと同じ
人間としての立場をとらなければならないことを、イエスはご存じだったのです。ですから、人間にとってバプテスマを授けることが正しいことなら、ご自身にとって正しいとされたのでした。ヘブル2章17節に『主はすべての点で兄弟たち同じようにならなければなりませんでした。それは民の罪のために、なだめがばされなされるためです』とあります。イエスはバプテスマをお受けになることにより、完全に神であると同時に、完全な人間の立場に身を置かれ、私たちの罪のみがわりとしての資格が充分にあることを示されたのです。


三、神の証言(マタイ3章16、17節、ヨハネ1章19−34節)
 イエスがバプテスマを受けられたと、聖霊がはとように下られ『これは、私の愛する子わたしはこれを喜ぶ』と天から神の御声が聞こえました。(マタイ3章16、17節)
バプテスマをお受けになった時、イエスは私たちの救いのために贖いの死をうけいれる決心を明らかにされたのです。神は私たちを深く愛しておられるので、イエスの決心は、神のみこころにかなうことでした。神はイエスの尊い使命を喜びをもって高らかに証言なされたのです。ヨハネ1章32−34節を読みましょう。

聖書箇所=ヨハネ1章19−34節、 マタイ3章1ー6節、13ー17節

 

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