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(2015-11-01の週報より)

「天からのマナ」

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まことに主は渇いたたましいを満ち足らせ、飢えたたましいを良いもので
満たされた。  ( 詩篇107篇9節) 


一、つぶやきを主は聞かれた(出16章1ー12節)
エジプトを出たイスラエル人は、葦の海を渡ってシナイ半島を南下し、一ヶ月後にシンの荒野に入った(1節)。その頃には携えてきた食料もほとんど食べ尽くしていました。
 こうしてシンの荒野でイスラエル人が食料に窮した時、彼らは『モーセとアロンにつぶやいた』( 2節)。エジプトにいた時は奴隷労働に酷使され苦しい日々であったのに、今や餓えに直面して、彼らは食べ物にだけありつけたエジプトを懐かしむようになった (3節)。
それほどの餓えの苦しみは深刻でした。そのような彼らつぶやきをエジプトから彼らを導き出された主が聞かれないはずはない。主はモーセに、彼らは『夕暮れには肉を食べ、朝にはパンで満ち足りるであろう』と約束された (12節)。


二、天からのマナ(16章13ー36節)
 それから『夕方になるとウズラが飛んで来て、宿営をおおい、朝になると宿営の周りに露が一面に降りた』(13節)。夕暮れに食べられる肉は、ちょうど飛来する時期に合ったウズラの肉であったことがわかる。朝ごとのパンとは、宿営の周囲一面に降りた露が上がった後に残る『白い霜のような細かいもの、うろこのような細かいもの』(14節)、また「コエンドロの種のようで、白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった』(31節)。
その実態は、多くの学者たちによって、砂漠によく見られる ぎょうりゅうの木 に寄生する貝殻虫が出す蜜状の排泄物と考える学者もいるがそれに反対する学者もいる。この物質をベドウィンは『マン』と呼ぶ。しかし大切なのは、モーセがイスラエル人に『これは主があなた方に食物として与えてくださったパンです』と言ったように (15節) 、それが天におられる神から与えられたパン、まさに『天からのマナ』であったことである。それを各自が、朝ごとに『自分の食べる分だけ、六日目は翌日の安息日の分まで (二倍) 集めるようにと命じられた (16ー27節)。それは、彼らが主の教えに従って歩むがどうかを試すためでした (4節)。
 この『天からのマナ』が指し示している最大の真理は、天から下ってこられた『いのちのパン』であるイエス・キリスト自身です (ヨハネ6章35、51節)、朝ごとに、天から下られた『生けるパン』である復活の主キリストと交わり、永遠のいのちの喜びに生きるのがキリスト者(クリスチャン) です。


三、岩から出る水(17章1−7節)
 イスラエル人は、旅を重ねて、レフィディムで宿営した時『飲む水がなかった』(1節)。
彼らは『飲む水を下さいと激しくモーセと争った』(2節)。主は、民がご自身に信頼して歩むと言う生活感覚を身につけるまで、何度も同じような試練を与えられる。そして、杖でホレブの岩を打つようにモーセに命じ、その岩から出る水を飲むようにさせた (6節)。この岩も、天からのマナと同じように、キリストを指し示している (Ⅰコリント10章4節)。
 キリストが与えて下さる水を飲む者は、それが彼の内で『泉となり、永遠のいのちへの水がわき出る』ようになる (ヨハネ4章14節)。


   

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