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(2015-07-12の週報より)

「愛」

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 こういうわけでいつでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番
すぐれているのは愛です。(Ⅰコリント13章13節) 

     
一、最高の賜物(Ⅰコリント13章1−3節)
Ⅰコリント12ー14章にかけて、御霊によって与えられるもの (賜物) について語られています。そして13章ではそれらの賜物を正しく用いるための土台である『愛』について書かれているのです。ここでいう『愛』とは、ギリシャ語では『アガべー』となっており、『報いを期待せず、自分を犠牲にしてまで相手を愛する愛』のことで、神以外、だれもこの愛をもってはいません。ですから、私たちにはこの愛はなく、神からに賜物として与えられない限り私たちはアガべーをもつことはできないのです。
 さて1ー3節には、愛がなければどんなに素晴らしい他の賜物をもっていても意味がないと書かれています。異言とは、他人には分からない特別なことばで神の真理を語ることで、この当時、非常に賜物と考えられていたようです。その他、預言をすることができたり、聖書のすみからすみまでよく知っていても、素晴らしい信仰があっても、他人のために慈善事業をしても、みな愛がないなら何の役にも立たないのです。それほど愛は素晴らしいものなのです。


二、愛の特権(4ー7節)
 では、愛があるとどのような性質になるのでしょう。4節ー7節に書かれてあるとおりです。せひ『愛』という所に、あなたの名前を入れて呼んでみてください。あなたは愛の人でしょうか。おそらく全部の人が、自分には愛がないことに気がつくと思います。でも、そういう愛のない罪人のために、イエスは十字架にかかってくださったのです。そのことを通じて、私たちに愛を表して下さったのです。(1ヨハネ4章9、10節)ですから、イエスの十字架の愛を信じ受け入れる時、私たちにもアガべーの愛が与えられます。
三、いつまでも残るもの(8−13節)


 また、愛は決して絶えることのないと書かれています。愛以外の賜物はみんな不完全です。聖書についての知識や、預言、異言などの賜物は、神ご自身と神が私たちに何を求めておられるかを知り、神に従うための手段ですが、どのような手段を使ったとしても、この世において神を知ることは鏡に映して見るようなもので、ぼんやりとしか見えないのではないでしょうか(当時の鏡はガラスで作られてはいなかったので、あまりよく映りませんでした)。私たちが神のもとへ行き、神と顔と顔とを合わせて会うようになった時、つまり神を完全に知るようになった時にはそれらの賜物は必要なくなります。それは、大人になれば子供の時必要だったものがいらなくなるのと同じです。しかし、愛は神ご自身の性質なのですからなくならないのです。
 このように、愛することは最も大切で素晴らしいものなのです。最後に、これが神から与えられるものであることにもう一度注意しましょう。自分で愛そうとしても失敗します。
神が私たちに愛する力を与えてくださるように、祈りましょう。

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