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(2015-06-21の週報より)

「ベタニヤのマリヤ」

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『私はみこころを行うことを喜びとします』(詩篇40篇8節)

『過ぎ越の祭りの六日前』(ヨハネ12章1節)それはイエスにとって、十字架が目前に迫った最も緊迫した時でした。ユダヤ当局が何とかイエスを捕らえようと賞金をかけてまで探し回っていたのです。そのような時、イエスはベタニヤに行かれました。ベタニヤはエルサレムに近く、忙しいイエスには数少ない憩いの場所であったようです。
 そこには、イエスを心から愛していた姉妹たちがいました。姉のマルタはイエスを迎えてその接待で心を乱し、妹のマリヤはイエスのことばを熱心に聞いていたという有名な話があります。けれども二人ともそれぞれの形で主を愛していたのです
                          (ルカ10章38−42節)。
 イエスがみんなと食卓に着いていた時のことです。ヨハネの記事からラザロもいたことが分かります。ですから三人の兄弟姉妹がイエスを心から歓迎しもてなしました。マリヤはこの時、イエスへの愛を行動をもって現しました。マリヤは純粋で高価なナルドの香油を持ってくると、それを割ってイエスの足に塗り、自分の髪の毛でそれを拭ったのです。
それを見ていたイスカリオテのユダが見積もりをしてように、その香油は300デナリの価値のあるものでした。労働者のほぼ1年分の給料に相当する香油を一度にささげたことになります。
 マリヤは、姉のマルタが忙しく働いている時、イエスのみそばに座っておことばを聞くという、ひたむきなものをもっていました。彼女はなくてはならない最も良いものに対して敏感でした。イエスはユダの避難に対して『そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしたのです』(ヨハネ12章7節) と言われました。マリヤは、主イエスの十字架のために自分の持っている最上のものをささげたのです。
 私たちのイエスに対する態度はどうでしょうか。私たちの罪の身代わりになられたイエスに対し、自分の最上の物をささげる決意があるでしょうか。このマリヤの行為は、勿論ラザロが復活させていただいたことに対する感謝の現れですが、それ以上に、イエスの死において示される比類のない神の愛を知ったことによるものです。ユダは『香油を売って、貧しい人に施す』ことを口にしますが、それは『貧しい人々のことを心にかけていたからではなく』打算的な態度から出ているものです。マリヤの打算を忘れた行為によって、家中に、香油の香りが満ちわたりました。押さえても押さえてもあふれ出てくるようなマリヤの感謝の気持ちが私たちにあるでしょうか
 

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