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(2015-04-12の週報より)

「エマオの途上」

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道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えたではないか。

               (ルカ24章32節)

一、エマオに行く道で(ルカ24章13−27節)
 イエスが復活された日、二人に弟子がエルサレムからエマオに向かって歩いていました。
約11キロの道中、二人はイエスの十字架、その死、三日目のよみがえりについて熱心に論じ合っていました。彼らはイエスがイスラエルを救ってくださると期待したのですが、イエスが死んでしまったので、絶望していました。彼らは、イエスが生き返られたという仲間の女たちの話にも半信半疑でした。心も足取りも重く、とぼとぼと歩いていると、もう一人の旅人が近寄って来ました。この旅人は彼らと共に歩みながら、彼らの話し会いに加わりました。二人は、この旅人がエルサレムであれほど話題になった出来事を知らないのに驚きながら、自分たちの救い主について話しました。するとこの道連れは二人に『キリストは……苦しみを受けて……栄光に入る』(26節) という預言が成就したことや聖書全体の中からキリストに関してのことがらを説明し始めました。

二、イエスに気づいた弟子たち(28ー35節)
 エマオに近づいて、この道連れは、なおも旅を続けそうな気配でしたが、ふたり一緒に泊まるように勧めました。夕食が始まると、この人は二人にパンを割いて渡しました。その時、二人は、共に歩んだ旅人がイエスだったことに気づいたのですハッとした途端に、イエスの姿は見えなくなりました。二人の弟子は道々話し合っていた時、どうして旅人がイエスだと気づかなかったのでしょうか。また、イエスはなぜ最初からご自分を明らかにされなかったのでしょうか。それは二人の『目はさえぎられて』(16節いたからです。イエスだとわからなかったのは、二人の心に疑いがあったからです。二人はそれほど絶望していました。二人にとって、イエスの復活は信じ難いことでした。ところが二人が『いっしょにお泊まりください』(29節)と心から招いて中に入っていただき、食卓で交わりをした時『彼らの目が開かれ、イエスだとわかった』のです (31節)。復活の主はこのように、あなたを待っておられます。二人の目が開かれたのはどこでしたか。夕の食卓です。家庭の日常茶飯事の中で、霊的な信仰の目が開かれて、復活の主を見いだし、交わり、日々共に歩んでいけるには、なんと幸いなことでしょう。復活の主に気づいた二人の弟子は、エマオへの道中で自分たちの心の中に燃えるものを感じたことを思い出しました。復活のイエスは、このように、信じる人々の心を燃やし、人生に喜びと希望を与えてくださるのです。
 あなたは復活の主に出会っていますか。まだ出会っていないなら、心を開いて、イエスに中に入って頂きましょう。もしあなたが復活の主に出会っているなら、あなたは日々、主と交わっていますか。あなたは心が燃えている生活を送っていますか。もしあなたがその体験をしていないなら、何かイエスと交わることを妨げるものがないか、今静かに心の内を探り、祈りましょう。

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