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(2015-03-15の週報より)

「苦難のしもべ」

  


彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのとりなしをす(イザヤ53章12節)

イエスがお生まれになる何百年も前に書かれたイザヤ書には、その後半

に『主のしもべの歌』としてまとめることのできる一連の歌が四つありま
す(42章1ー4、49章1−6,50章4−9、52章13−53章12節)

それぞれ『主のしもべの召命』『主のしもべの使命』『主のしもべの忍
耐』『主のしもべの苦難と死』について歌われています。

この一連の詩は、人の罪を贖うために苦しみを受ける『主のしもべ』のこ
とを歌って歌っているのですがこの主のしもべがだれを指すのかは、旧約
聖書の大きななぞでした。特定の個人のことを歌っている。あるいは集団
としてのイスラエルこと歌っている。あるいはメシヤのことを歌っているな
どといろいろ考えられてきました。

エチオピヤの宦官がエルサレム神殿から国に帰る途中、馬車の中でイザ
ヤ書53章を読みながら『これはだれのことを言っているのだろうか』と考
えていた時、ピリポが説き明かしたように(使徒8章)キリスト教会は、
一連の『主のしもべの歌】は旧約聖書のメシヤ預言の頂点としてイエスの

ことを預言していると理解しました。イエスが『主のしもべの歌』によっ
て預言されたように、私たちの罪を負い、私たちの罪を贖うために苦難を
 経験してくださったからです。歴史上、イエスのように私たちの罪を負って
 死んだ義人はほかにはいません。

 特にイザヤ書53章 (厳密には52章13から続いている)を繰り返し読
 むと、その描写の一つ一つが、イエスの逮捕、裁判、十字架を綿密に予告
 しているのを知ることが出来ます。敵対する者によって捕らえられただけで
 はなく、最愛の弟子たちからも見捨てられながら、その彼ら(要するに罪
 人である私たち)のためにとりなしをしてくださったのです。

 

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