すべてのメッセージのタイトル一覧
(2014-08-03の週報より)

「神に選ばれたダビデ」

  


 『人はうわべを見るが、主は心を見る。』 (?サムエル16章7節)

一、エッサイのもとへ(?サムエル16章1−5節)
 王位から退けられたサウルのことを思って悲しむサムエルに、主はベツレヘムに行くように命じました。そこに住むエッサイという人の息子の中に、次の王になるべき人がいるというのです。サウルの怒りを恐れて尻込みするサムエルに、主は具体的な指示をお与えになりました。『主にいけにえをささげに行く』という理由で出かけ、いけにえを捧げているところに、エッサイ一家を招くようにとお命じになったのです。サムエルは早速ベツレヘムに行き、主のおことばどおり、エッサイと息子たちを招きました。

二、油注がれるダビデ(?サムエル16章 6ー13節) エッサイは、息子たちを連れてやって来ました。サムエルは、背が高くて王にふさわしい、風格のある長男のエリアブを一目見て、この人こそ神が選ばれた人だと直感しました。しかし、主のお答えは違いました。7 節を読みましょう。主は、うわべ、つまりその人の外見や能力などではなく、心をご覧になるとおっしゃったのです。次男アミナダブ、三男シャマも、神が選んだ人ではありませんでした。そしてそこにいた全員がサムエルの前に立ちましたが、主の目にかなう者は一人もいませんでした。ほかに息子はいないのかとサムエルが尋ねると、エッサイは、羊の番をしている末っ子がいると答えました。何とその少年ダビデが、神が王としてお選びになった人だったのです。 *11ー13節を読みましょう。

 皆さんは『心を見ると言われて『ああよかった。私は心には自信がある』と胸を張ることが出来ますか。きっとそんな人はいないでしょう。神の前には罪のない人はいません。非の打ちどころのない完璧な人など、この世にいないのです。もちろんダビデも、失敗することも、罪を犯すこともありました。それでは、ダビデの心のどこが主のみこころにかなったのでしょう。それは、ダビデの心には、神といつも親しい関係でいたいという願いがあったからです。ダビデにとって、神のみこころを行い、神の御名がほめたたえられることが自分の喜びでした。そして失敗したり罪を犯したときには、心から悔い改めて神の赦しを祈り求めました。これは残念ながらサウルには欠けているものでした。神はそのような、常に主を求める心をダビデのうちに見だし、次の王としてお選びになったのです。

三、サウル王に仕えるダビデ(?サムエル16章14ー23節) 一方、主の霊が去り、心の平安を失ったサウルは、不安におびえるようになりました。家来たちは、美しい立琴の音色で王の心を落ち着かせることができるのではないかと提案しました。そして、なんと立琴の名手であったダビデが連れて来られたのです。神の不思議な導きによって、ダビデはサウル王に仕える者となりました。ダビデはサウル王のために心をこめて立琴を弾き、それを聴くたびにサウルは元気を回復しました。主はサウルを王として退けましたが、ダビデを用いて慰めを与えてくださいました。 

聖書箇所を検索:サムエル記上(結果はページ右に表示されます)
福音書の主な出来事:該当なし



 

Copyright (c) 東大阪キリスト教会