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(2014-03-09の週報より)

「十字架のことば」

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 私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。(第?コリント1章23節)

一、コリントにある教会からの知らせ(第1コリント1章11、12節)
 パウロはコリントの教会が幾つかのグループに分かれて仲間割れを起こしていることをこの教会のクロエという人の手紙から知りました。。それぞれ「パウロにつく』『ケパにつく』とかってに人の名を担ぎ出し、自分たちの主張を通そうとして口論していたのです。

二、一致の勧め(第?コリント1章10 − 17節)
 パウロは、コリントの教会の人々に、一致して同じ心を保つように勧めています。10節に『主の御名によって……お願いします』とあるように、一致を保つことは主イエスご自身の祈りでもありました (ヨハネ17章21ー23節)。だれからバプテスマを授けられたか?
というようなことで派閥を作る人たちに対して、パウロは、自分はバプテスマを授けるよりもはるかに大切な使命、つまり福音を伝えるために遣わされていると述べています。それも、人の耳に快く響くことばをあれこれ使って、福音のいちばん大切なメッセージであるキリストの十字架の出来事を曖昧にしてはならない、とパウロは強調するのです。

三、十字架のことば(第1コリント1章18−2章2節、ローマ1章16節)
 キリストの十字架のできごとは、多くの人々にとっては到底受け入れがたいことなのかもしれません。私たち人間が、自分の限られた経験や知識、理性の中で十字架のできごとを判断したり、畫ろうととすると、それは、バカバカしく、愚かに感じられるでしょう。パウロも伝道旅行中に福音を語った時、どれほど人々に嘲笑され、拒絶されたかしれません。それどころか、投獄されたり、生命の危険を感じることもありました。しかしパウロは、コリントへの教会へ第一の手紙で『十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。』(第1コリント1章18節)はっきりと述べ『私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝える』(1章23節)『十字架につけられた方のほかには何も知らないことを決心した』(2章2節) と宣言しているのです。それは私たちの信仰が、私たちの罪のためにキリストが死んでくださったという事実の上に成り立っているからです。この十字架のできごとこそが、私たちの信仰の土台であるのです。たくさんある聖書のことばに、どれほど精通し、賛同したとしても、この1点を受け入れて信じることをしなければ、私たちは神の前に救われた者とはならないのです。

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