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(2014-02-16の週報より)

「神を愛したヨハネ」

  

愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。(?ヨハネ4章7節)

 ヨハネは弟子の中の弟子であり、愛の人として知られています。しかし、それは最初からではなく、イエスを信じる信仰と交わりの中で培われてきました。最初から立派な人はいません。たとえ欠けたところがあっても、主に従うとき変えられるのです。

一、ヨハネが召される(マルコ1章19、20節)
 イエスは弟子として、エリート中のエリートを選んだのではなく、まず漁師たちをお選びになりました。シモンとアンデレ、そしてヤコブとヨハネでした。彼らが、ガリラヤ湖畔で網を繕っている時、イエスに招かれました。すると彼らは『父ゼベダイと雇い人たちといっしょに舟に残して、イエスに従った』(マルコ1章20節)マタイの福音書には『彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った』(4章22節) とあります。これはただ事実を記しているだけではなく、ここには霊的な意味があります。舟や網は生活の手段を、父は家族を、それぞれ意味しています。それらすべてを捨てて、イエスに従ったのです。それは、主に従うという信仰の決断であり、単なる責任放棄ではないのです。

二、ヨハネが憤る(ルカ9章51ー55節)
 イエスは、ガリラヤ伝道の後、エルサレムに向かいました。それはあの十字架の上で贖いの死を遂げるという尊い使命のための旅でした。急いでエルサレムに行くのにはサマリヤを通らなければなりませんでした。それはまた十字架への道であり、重い決断への旅でした。その時、『サマリヤ人はイエスを受け入れなかった』歓迎しなかったのです。ヤコブとヨハネは憤って『主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか』と言います。
 イエスは、弟子たちによくニックネームをつけられますが、ヤコブとヨハネには ネアボルゲつまり雷の子という名を与えられました (マルコ3章17節)。性格が激しく、怒りやすかったためためしょう。粗野で怒りやすかった彼らが、主イエスに従い、主と交わり
多くの苦難を経てゆくうちに、信仰と愛の人へと変えられたのです。主と交わるとき、私たちは変えられるのです。

三、ヨハネが信頼される(ヨハネ19章26、27節)
 イエスは、十字架の上で苦しんでおられる時も、母マリヤのことを配慮されました。自分の苦しみではなく、母親の事を思われたのです。そこでそばに立っている愛する弟子を見ながら、マリヤに『女の方、そこに、あなたの息子がいます』と言われました。また、その弟子に『そこに、あなたの母がいます』と言われます。その時から、その弟子ヨハネは、マリヤを自分の家に引き取り、実の母親のように仕えた。
 なぜ、主イエスはヨハネにマリヤをゆだねられたのでしょうか。それは、彼の信仰と性格をよく知っておられ、信頼しておられたからです。彼は、主と交わりの中で、信仰と愛の人へと変えられたのです。終生変わることなく、母親の面倒を見てくれることを知っておられたのです。ヨハネは、その信頼に答えて、終生マリヤの世話をしました。ヨハネの福音書や手紙を読むと愛が繰り返し強調されています。互いに愛し合うように勧めています。彼はその愛をもって、すべての人に仕えました。私達も、愛に生きる者になりましょう。
* 主題=神は欠点のあるものをも造り変えて神の愛を宿す者にしてくださる。

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