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(2013-10-20の週報より)

「ペテロ、イエスを否む」

  

わたしに従いなさい。(ヨハネ21章19節)                      

 一、イエスを慕 (ヨハネ13章 36ー38節)
 人は、自分が考えていることが絶対だと思ってしまうことがあります。また神のことが人間の頭ですべて理解できると思ったりします。その時の人の心は、ほかの考えを受け入れることができず、知らないうちに高慢になっているようです。イエスは弟子たちに『わたしが行く所へは、あなたがたは来ることができない』(33節)と言われた時、弟子たちは、その意味がよく分かりませんでした。イエスはやがて苦難を受け、十字架にかかり、死ぬことを言われたのです。ペテロが『主よ。どこにおいでになるのですか』と聞いたのも、自分が考えられる範囲で、イエスが地上のどこかの場所に行かれると思っていたからです。勿論ペテロはイエスを愛していましたから、どこまでも一緒に行こうと決心していたに違いありません。ですから、ペテロはさらに『あなたのためにはいのちも捨てます』と言ったのです。これはペテロの本当の気持ちだったのでしょう。しかし、イエスはペテロの弱さを知っておられたので『鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと云います』と答えられたのです。ずっと先のことではなく、今から夜が明ける数時間の間にです。イエスは、ペテロの熱心な気持ちを理解しておられましたが、これから大切な働きを担わなければならないペテロに、自分の力を過信することの危険を教えようとされたのです。

二、イエスを否む(ヨハネ18章12ー27節)
 この箇所はたいへん有名なところです。ペテロは、捕らえられたイエスのことを心配して、大祭司カヤパの屋敷までついていきました。しかし、門番のはしために『あなたもあの人の弟子ではないでしょうね』といわれたペテロは、とっさに『そんな者ではない』と否定してしまったのです。自分も捕らえられるかもしれないと恐れたのでしょう。
(25ー27節) を読みましょう。鶏の声を聞いて自分の失敗に気づき、はっとして顔を上げたペテロは、自分を見つめるイエスの眼差しを見て、泣いて悔い改めました。(ルカ22章61、62節 参照)

三、イエスを愛する(ヨハネ 21章15ー19節)
 よみがえられたイエスは、テベリヤの湖畔で弟子たちと食事を共にした後、『あなたはわたしを愛するか』と三度もペテロに尋ねられました。ペテロが『あなたを愛することは、あなたがご存知です』と答えると、イエスは『わたしの羊を飼いなさい』と命じられました。イエスが三度も同じ質問をされたので、ペテロは心を痛めた (17節)。その理由として前二回で「愛するを」アガベーで言われたのに、三度目はペテロが答えたフェレオーで尋ねられたからだという説もありますが、やはり、三度も繰り返し尋ねられたからであると理解するほうがいいでしょう。本当の意味で主を愛することのできない自分の弱さを知った時、初めて真実に愛することができるようになるのです。自分の信念や思い、意志ではなく、むしろ愛することのできない弱さを知り、真実にイエスを愛する者になりましょう。

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