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(2013-06-23の週報より)

「開かれた目」

  

 主の使いは主を恐れる者の身の回りに陣を張り、彼らを助け出される(詩篇34篇7節)

一、敵に囲まれたエリシャ(?列王6章8ー14節)
 アラムがイスラエルと戦争していた時のことです。アラムの王がイスラエルと戦うための作戦を色々と立てるのですが、エリシャはアラム王の計画をすべて見ぬいて、イスラエルの王に教えました。お陰でイスラエルは危ない目に遭わずにすみました。こんなことが何度も続いたので、アラム王はすっかり怒り、自分の家来の中にイスラエルのスパイがいるのではないかと疑いさえしたのでした。
 そうではありません。アラム王がたとえ寝室の中で話したことばでさえもエリシャには秘密でも何でもないのです。このことを知って怒りに燃えたアラム王は、エリシャの居所を捜させ、ドタンにいるという報告が来ると、すぐに大軍をドタンに送り、夜のうちにドタンの町を包囲しました。

 たった一人の人間を捕まえるだけなのに、なんという物々しさでしょうか。一筋縄でいかない相手だと恐れたのていたのでしょう。
二、見えないものを見ていたエリシャ(15ー19節) 
 夜が明けて、目を覚ましたエリシャの召使は、震え上がりました。馬と戦車の大軍が町を取り囲んでいるではありませんか。おびえる召使と対照的に、エリシャはとても冷静です。エリシャには、召使に見えていないものが見えていたのです。16、17節を読みましょう。
 私たちも、恐れや不安を感じると、神がともにおられることを忘れて、おびえたり、慌てたりすることがあるのではないでしょうか。神は、愛する者に守りを与えてくださる方ですから、霊の目が開かれているなら、現実がどんなに絶望的で緊迫した状況でも、神の全能の力と守りを確信することができるのです。
 いよいよアラムの軍隊が向かってきたとき、エリシャが神に祈ると、神は敵の目を見えなくなさいました。エリシャはアラム軍をイスラエルの首都サマリヤに連れて行きました。ドタンからサマリヤまでの15キロの道を、アラム軍はエリシャに誘導されるままに従ったのです。19節を読むと、この時のようすがわかります。

三、敵を許したエリシャ(20−23節) 
 サマリヤに着くと、エリシャはアラム軍の目が開かれるように祈りました。見えるようになったアラム人たちは、自分たちが敵国の首都にいることに気づいて、どんなに驚いたことでしょう。イスラエル王は喜んで、この機会にアラム軍を叩きのめそうとしました。しかし、エリシャは彼らに復讐をするのではなく、盛大にもてなしました。ここでやっつけなくても、これからも神が守ってくださることをエリシャは信じていたのです。
 盛大なもてなしを受けたアラム人は、帰国することを許されました。それ以後しばらくの間、アラムの略奪隊がイスラエルに侵入してくることはありませんでした。
 詩篇121篇3節を読んでください。私たちを眠ることなく守ってくださる神がともにいてくださることを感謝しましょう。                        

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