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(2013-05-05の週報より)

「ラザロと金持ち」

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 確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。( 第2コリント6章2節 )

一、神も富も名誉も(ルカ16章前半)
 当時のユダヤには、パリサイ派という宗教エリート集団がいて、人々におおきな影響を与え、尊敬されていました。パリサイ人たちは、自分たちが編み出した様々な細かい規定を聖書に付け加え、それらを厳密に守っていました。そして、掟を守る自分たちこそ神の前に正しい者であると考え、一般の民衆を軽蔑していたのです。
 また、彼らにとって、地上の富も、神と同じくらい大切なものでした。当時の宗教指導者の間では、富の祝福は神からのものであると考えられていたからです。
 このようなパリサイ人でしたから、神に従うために富を犠牲にしなければならないというイエスの教えを聞いて、あざ笑いました。しかしイエスから見れば、パリサイ人の生活は、彼らがどんなに誇っていても、表面的なきよさに過ぎません。彼らが人の評判は気にしますが、自分たちの心のうちに潜む汚れについては、気にも留めようとしなかったのです。

二、神の国はだれのもの(ルカ16章19−26節)
 イエスは、パリサイ人たちにたとえを使ってお話になりました。あるところに贅沢に暮らしている金持ちがいました。金持ちの家の前には、貧乏で、しかも病気に苦しむラザロという人がいました。やがてこの二人は死にましたが、天国に入ることができたのはどちらだったと思いますか。22、23節を読みましょう。天国に行ったのは、お金もなく、評判もよくなかったラザロだったのです。        
 金持ちは、地獄の苦しみの中から、アブラハムと一諸にいるラザロを見ました。アブラハムはユダヤ人の先祖で信仰の父と呼ばれている人です。そのアブラハムに、金持ちは水をくれるよう頼みます。アブラハムは何と答えたでしょう。25、26節を読みましょう。
 天国に入るために必要なのは富とか評判をではないのです。救いはお金では買えないのです。人は自分の兄弟をも買い戻すことはできません。自分の身のしろ金を神に払うこともできません。 たましいの贖いしろは、高価であり、永久にあきらめなくてはなりません。(詩篇49篇7,8節参照)  ラザロ= 神は助けた(実用聖書注解より)

三、神の国に入るには(27−31節)
 金持ちは、自分の兄弟たちにはこんな苦しみを味あわせたくないと思いました。27、28節を読みましょう。しかしアブラハムは、29節のように答えたのです。『モーセと預言者』とは、今の『旧約聖書』のことです。旧約聖書が書かれた最大の目的は、イエスが地上に来て救いの業を成し遂げることを知らせるためでした。天国に入るには、聖書のメッセージを受け入れることが必要なのです。
 お金や評判などの外側は問題ではありません。大切なのは『心』です。しかも、26節からわかるように、死んでからではどうしようもありません。皆さんは、これからの人生をどのように過ごしていきますか。

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