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(2013-02-17の週報より)

「ベタニヤのマリヤ」

  

 『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』        (申命記 6章5節)


 ベタニヤ村のマリヤはイエスの12弟子弟子には入っていません。しかも女性でありながら、なぜイエスの弟子と呼ばれるのでしょうか。それは他のどんなことにもまさって、ひたすら主を第一としたからです。それは次の二つの行為によって明らかになります。

一、みことばを聞く(ルカ10章38−42節)
 何よりもマリヤは主イエスのみことばを聞くことを第一の大切なこととしました。主イエスがユダヤに行かれる時は決まって、このマリヤとその姉マルタの家に宿泊しました。
居心地が良かったのでしょう。マルタはいつも心をこめてキリストの一行をもてなしていたようです。しかし、この日のマルタは気遣い過ぎて、キリストがいらっしゃったときには、どうすることが一番なのか間違ってしまったようです。主はマルタのもてなしを感謝しておられました。しかし、その時その時に応じて最も優先させるべき行動というものがあります。神の御子であられる主がいらっしゃったのです。あれこれと接待することよりまず、主のみことばに聞かなければなりません。マリヤは、優先させるべき行為を第一にとったのです。主イエスが評価したように『どうしても必要なただ一つ』(ルカ10章42節)
のことをマリヤは選んだのです。主のみことばを聞くことを最優先させること! これこそ主の弟子たる第一の条件です。

二、最も大切なものを主にささげる(ヨハネ12章1−8節)
 第二にマリヤは聞くだけではなく、イエスへの愛と感謝を大胆に表現しました。この時はイエスが十字架につけられる六日前です。マリヤの兄弟ラザロをイエスが生き返らせたことで民衆は興奮し、それがユダヤ当局の焦りと憎悪をかきたて、彼らはイエスもラザロも殺そうとやっきになっていました。このような緊迫した状況の中で、この日の夕食会は開かれたのです。

 その席でマリヤが主イエスの足に注いだナルドの香油は、埋葬の時などの特別な場合に使われる大変高価なものでした。会計係のユダが算定したように一人の人の一年分の給料に値するものを、一度に一滴残らず主イエスのために使い果たしたのです。香油の匂いはたちまちイエスの全身を包み、また部屋中に満ち溢れました。そして、主はそのまま埋葬されたかのような状態になりました。しかもマリヤは、女性が人前では決してしてはならないこと、つまりじぶんのかみのけをほどいて、それで主の足を拭いたのです。
 マリヤの行動は常識的な目から見ると、非常に無駄遣いです。しかし、主はまもなくこの地上から取り去られます。主の心を知り、今この時主のために自分にできる唯一のことをマリヤは選び、徹底して実行したのです。このマリヤの行動は主の心に一番近いものでした。主は、の行為が以後キリスト教宣教活動において永久の記念となるだろうと宣言されました(マタイ26章12、13節)『この人は私の体に香油を注いで、私を葬る準備をしてくれたはっきり言っておく。世界中どこでも、この福音が宣べ伝べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう』

*2月17日     ベタニヤのマリヤ

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