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(2013-02-03の週報より)

「取税人マタイ」

  


  だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。             (?コリント5章17節)

一、招きに応じるマタイ(ルカ5章 27、28節)取税人マタイがガリラヤにある収税所でに座って仕事をしていました。彼は、他の取税人と同様に、金に人生を賭けていました。そのため、同胞から避難され、罪人と軽蔑されることは覚悟の上でした。しかし、こうして手に入れた財産は、彼に平安をもたらしませんでした。彼の求めていた幸福は、かえって遠くに逃げ去り、お金が手に入れば入るほど虚しさは増すばかりだったのです。

そんな時、キリストの方からマタイに『私について来なさい』と声をかけられたのです。金銭で得られない幸福を、この方こそ自分に与えてくれるに違いないと信じたマタイは、すぐさま何もかも捨てて、キリストに従いました。ペテロもヨハネも、自分のものを『何もかも捨て』て従いましたが、彼らの場合いつでも、もとの仕事に戻ることができました。けれどもマタイの場合は、一度捨てれば、再び戻ることのできないものでした。彼はイエスに生涯をかける決断に踏み切ったのです。

二、罪人を招かれる主(29−32節)
 マタイにとって、これほど親しく声をかけられたことがこれまでにあったでしょうか。いつも非難を受けていた彼は、好意を持って招いてくださる主にただただ感謝するばかりでした。そこで、この喜びを、一人でも多くの人に知らせ、共に喜んでもらうため、彼は盛大なパーテイを開きました。
このパーテイは、マタイにとって、これまでの古い自分との別れと、新生活への門出を記念する会であり、自分の救いを人々に公言する最初のあかし会となりました。

 ところが、パリサイ人と律法学者たちはキリストを非難しました。宗教的には異邦人であり、社会的にも罪人である者と、食事するなど、とても考えられなかったからです。彼らは宗教家であるにもかかわらず、マタイの救いについて関心がありませんでした。それよりも、自分たちの考えの正しさを通すことの方が大切だったのです。

 そこでキリストは答えて『医者を必要とするのは病人です』と告げられ、ご自分が罪人を招いて悔い改めさせるためにこの世に来られたことを教えられました。この世に罪人でない人はだれもいません。自分が罪人であると悟ったマタイや他の取税人や遊女たちは『罪がない』と思っているパリサイ人たちより先に赦された(救いに招かれた)のです。



 *主題=主の招きに従うとき、新しく造り変えられる。

 

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