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(2012-12-23の週報より)

「主イエスの誕生待ち望む」

  

『 主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、なんと幸いなことでしょう。』(ルカ1章45節)

一、ユダの町に急ぐマリヤ(ルカ1章39,40節)
 御使からイエス誕生の知らせを受けたマリヤは、親戚のエリサベツのもとに急ぎました。御使は、マリヤの理解を助けるために、年老いたエリサベツの不思議な妊娠についても語っていますが (1章36節) それを確かめるためというより、この不思議を共有できる信仰の家族のところに身を寄せようと考えたのではないでしょうか。
 みこころが示されても、不安や怖れが全くなくなるわけではないことがあります。神のみ心を注意深く確認していくということもあるでしょう。いやそれ以上に、私たち人間には、同じ信仰を持つ友や家族の交わりと励ましがどうしても必要なのです。みこころがすべての人に示されるわけではありませんし、神への信仰が与えられなければ、理解したり一致することができない問題があるのです。

二、エリサベツの励まし(41−45節)
 マリヤが挨拶をすると、エリサベツのお腹の子供が踊ったと書かれています。これを引き金として、御霊に満たされたエリサベツは不思議な告白をしました。42節を読んでください。以前、御使いがマリヤに語ったようにエリサベツもマリヤに与えられている恵みと祝福を認めています。30節をかくにんしましょう。
 そして『私の主の母が私のところに来られるとは、何ということでしょう』と云います。なんとエリサベツは、マリヤを『私の主の母』と叫んだではありませんか。それはマリヤのお腹の子供がメシヤ(救い主)ということの告白です。これらのことは、マリヤの信仰を大いに励ましたことでしょう。
さらにエリサベツは『主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、なんと幸いなことでしょう』と加えます。これは、自分で思い込み、そう念じてただ信じるということではありません。大切なのは『主によって語られた』という事実であり、この主によって語られたことへの信頼が求められているのです。

三、マリヤの讃歌(46−56節)
 エリサベツの励ましに答えて、マリヤは神をたたえます。彼女は、神からの祝福を確信するように導かれていきました。『ほんとうに、これから後、どの時代の人々も私をしあわせ者と思うでしょう』御使に示され、エリサベツに促されたマリヤでした。とにかく、ここに神からの恵みを、恵みとして受け止めることのできる幸いがあります。
 また自らを『卑しいはしため』と述べています。ミカの預言 (ミカ5章2節) を思い出してください。『ユダの氏族の中で最も小さいもの』とありましたね。それは、直接にはベツレヘムを指していますが、神は、本当に小さな者を用いて、大きな御業をなさるお方なのです。マリヤは、神が『主を恐れかしこむ者』『低い者』『飢えた者』に目を留めて、あわれみをお与えになると賛美します。一方『心の思いの高ぶっている者』『権力のある者』『富む者』は退けられると云っています。
 マリヤはここに神の恵みの逆転を見ています。『卑しいはしため』になされる神の約束の成就とその大きな御業に感謝をささげるのです。

* 12月16日 主イエスの誕生を待ち望む ルカ1章39−56節
     
     * 主題=みことばの実現を待ち望む。

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