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(2012-09-02の週報より)

「良い羊飼い」

  

  『わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。』
                          (ヨハネ10章11節)
一、イエスは救い主(ヨハネ10章1ー10節)
 イエスは、たとえを用いて、大切なことを教えられました。1ー5節を読みましょう。
このたとえでまず語られているのは、門から入って羊の名を呼び、外に連れ出す牧者と、囲いを乗り越えてくる盗人や強盗との対比です。羊にとって、門を通って入る囲いの中は安心して過ごせる場所です。門は外敵から羊を守るものでした。また、牧者は羊を連れ出す時、当然門を開いて羊を出し、牧場に導き、牧草を与えて羊を養います (詩篇23篇)。
 それと反対に、門を通らないで羊を連れだそうとする盗人とや強盗がいます。そのような人たちは羊のことを考え養うためではなく、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするために来ます。羊は、彼らが自分の牧者でないので逃げ出します。私たちも、同じです。私たちに危害を加える存在や教えに近づきたいとは思わないでしょう。イエスは、ご自分こそ羊に(私たち)に救いと安らぎを与え、養う門であり、良い牧者なのだと言い、私たちを救いに招いておられるのです(9節)。
二、良い牧者イエス(ヨハネ10章11ー18、27ー29節)
 11ー15節を読みましょう。ここでは、良い羊飼いと雇人の違いが対比されています。
雇人は羊のことを心にかけていないので、狼が来たら羊を置き去りにして逃げてしまいます。対照的に、良い羊飼いは、羊たちのことを知ってており、心にかけています。一匹一匹を愛しているのです。それゆえに、良い牧者は羊のために命を捨てます。
 イエスはその良い牧者とご自分を重ねて、こう言われました。『わたしが来たのは羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです』(10節)。イエスはやがて十字架につけられます。しかしそれは、人々がイエスの命を奪おうとした結果なのではなく、私たちに永遠のいのちを与え、生かそうと決意された父なる神と、イエスの従順によるのです。
*ここに、なぜイエスが十字架で死ななければならなかったのかの答えがあります。
三、牧者のもとに帰ろう(?ペテロ2章22ー25節)
 イエスの弟子ペテロは、イエスが十字架にかけられた時にはその意味がわかりませんでしたが、後になって、それは『私たちが罪を離れ、義のために生きるため』だったと悟りました。『罪を離れ、義のために生きる』とは、どんな生き方なのでしょう。それは、イエスの十字架によって示された神の愛と救いに心を開くこと、イエスこそ、羊のようにさまよう私たちが、心から安心して従うことのできる真の牧者であることを信じる生き方です。羊たちが、自分の名前を呼んで呼び出してくれる牧者の声について行くように、私たちもこの方について行けばよいのです。真の牧者イエスこそ、私たちを罪から引き離し、正しく生きることができるように導いてくださるお方だからです。



* 9月2日   羊飼いについていく   聖書箇所=ヨハネ10章1ー18、27ー29節
                           ?ペテロ2章22ー25節
 良い牧者であるイエスに従おう
                                

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