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(2012-07-08の週報より)

「サウロの回心」

  

 私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちののために死んでくださったことにより、神は私たちの対する神の愛をを明らかにしておられます。(ローマ5章8節)

一、教会への迫害(使徒8章1ー8節)
 前にステパノの殉教について学びましたが、その死の現場にいたという青年はステパノには殺されるべき正当な理由があると考えていました。サウロは律法を守ることに熱心なパリサイ人だったので、十字架刑で死んだナザレ人イエスを救い主だと伝えているステパノに、激しい憤りを感じていたのです。ですから、サウロは、ステパノの死後も、イエスの弟子たちに対する迫害の手を緩めませんでした。イエスを神と信じる者を『異端者』として次々に牢に入れたり、手荒な事を続けていました。そうすることが神に喜ばれると信じて疑わなかったのです。
 迫害された信者たちは、エルサレムから周囲の町々へと散らされていきました。

二、サウロの回心(9章1ー9節)
 イエスの弟子たちに対するサウロの敵意と憎悪は、ますます大きくなっていきました。
散らされた信者たちを捕らえ、牢に入れてもよいという許可書を大祭司から得て、サウロはダマスコに向かいました。ところが、ダマスコを間近にしていたサウロに、主イエスが現れたのです。まばゆいほどの光がサウロの上に照らしました、そして『わたしはあなたが迫害しているイエスである』という声によってご自身を現されました。サウロはこの現象から、イエスが神に遣わされた救い主であったと悟ったに違いありません。自分が良かれと思ってしてきた迫害が、実はそのお方に向けられていたと知って、相当なショックを受けたことでしょう。しかし主は、そんな彼に、これからなすべきことを教えて下さいました。
 サウロの同行者たちには、声は聞こえても何が何やらわかりませんでした。主イエスがサウロに個人的にお会いになったからです。目が見えなくなったサウロは、人々に手を引かれてダマスコの街に入って行きました。

三、サウロの宣教(9章10ー22節)
 主はサウロを正しく導くために、アナニヤという弟子を用いられました。サウロに会いに行くように命じられたアナニヤは、サウロの評判を聞いていたので、驚き、戸惑いました。無理もありません。そこで主は、ご自分がサウロのために用意しているご計画を、アナニヤに話してくださいました。アナニヤは、主のことばに従ってサウロのところに向かい、彼の上に手を置いて『兄弟サウロ』と呼びました。するとサウロは再び目が見えるようになり、罪を悔い改めてバプテスマを受けました。そしてただちに、イエスは神の子であると宣べ伝え始めたのです。『回心』とは「心を回す」と書きます。今までの人生の方向をまったく変えて、これまでとは違った道を歩むという意味です。サウロは、イエスに敵対する迫害者から、イエスのために生きる宣教者へと回心したのです。

*7月8日    サウロの回心
 聖書箇所= (使徒8章1ー3節、9章1ー22節)
  主題=神は、敵対するものを作り変え、ご自身の器としてお用いになる。

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