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(2012-07-01の週報より)

「キリストの体なる教会」

  

 あなた方はキリストの体であってひとりひとりは各器官なのです。(?コリント12章27節)


一、御霊の賜物はすべての信者に与えられている。
 パウロがこの手紙を書いたのは、コリントの協会に分裂があったからです。分裂の原因はいくつかありましたが、その一つは聖霊の賜物に関することでした。聖霊の賜物とは、聖霊が与えて下さる奉仕のための能力と考えてよいでしょう。具体的には28節に書かれているようなものがありました。ところがコリントのクリスチャンたちはそれを比べ合って優劣を競い合い、本来教会の力となるべき賜物を分裂の原因にしてしまったのです。パウロは彼らの間違いを正すために、まず、どうして彼らがイエスを信じるようになったのかを示したのです(1ー3節)。つまり、私たちは聖霊の力によって『イエスは主である』と告白したのです。それが、最大の聖霊の賜物ではないでしょうか、それはすべてのクリスチャンがもっており、まったく不公平のないものなのです。それなのにどうして優劣を争うのか、とパウロは言いたかったのではないでしょうか。

二、御霊の賜物はそれぞれに違っている。
 更にパウロは4-11節のように言います。賜物を与えて下さる御霊は一つであって、すべてのクリスチャンに公平に働いて下さいます。しかし、その現れ方はそれぞれ違うのです。それは、みんなの益となるためです。すべてのクリスチャンが同じ事をしたいと願ったらどうなるでしょう。教会には、牧師が必要です。オルガンを弾く人もいります。掃除をする人、週報を作る人、お花を生ける人、そのほか多くの仕事が必要です。それぞれがきちんと働いてこそ、教会が成り立つのです。そのためにひとりひとりに違った賜物が与えられているのです。牧師は必要ですが、みんなが牧師だったらだれが話を聞くでしょう。みんながオルガニストだったら誰が歌うのでしょう。
 それはまた、パウロが例えたように人間の体のようなものです。体のそれぞれの器官ががうまく働いてこそ、正常なのです。そしていらない器官は一つもありません。むしろ、何のためにあるのか分からないような器官が、実は重要な働きをしているように、見立たない隠れた賜物による働きこそが本当に重要なのです。そういった賜物があるからこそ、教会の本当の調和が保たれるのです。

三、さらにまさる道をこそ求めよう。
 その調和の源は何でしょう。それは、いたわりの心です。25,26節に書かれているように、苦しんでいる人がいるなら苦しみを共にし、喜ぶ人と共に喜ぶことです。目立つ賜物を与えられているからと言って高慢になり、他人を見下したり、反対に自分の賜物は少いといってひがんでいるような人たちはいたわり合うことはできません。コリントの教会の人たちはそんな状態だったのです。彼らにとって賜物とは自分のためのものだったのです。ですから、パウロは31節に書かれているように『よりすぐれた賜物』を求めるように言ったのです。『よりすぐれた賜物』とは、より他人のために役に立つ賜物のことです。
 更に、賜物を求めるよりもっと重要なことがあるとパウロは言います。31節に『さらにまさる道』とありますが、これは愛のことです。どんなに素晴らしい賜物を持っていても、愛が無ければ何の役にも立ちません。さっきも言ったように、いたわりの心こそ教会の調和に必要なのです。それは、愛から生まれてきます。また愛は他人の役に立ちたいという思いを生みます。そういった思いを持った人は、自分の賜物をいい加減にではなく最大限に使おうとします。このように、ひとりひとりのクリスチャンが愛をもって賜物をを用いていく時に、教会は生き生きとした本当の働きができるのです。

*6月24日  キリストのからだなる教会   ?コリント12章

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