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(2012-02-27の週報より)

「唯一の神」

  


 わたしが主である。ほかにはいない。わたしのほかに神はいない。(イザヤ45章5節)

I am the LORD, and there is no other, apart from me there is no God. 
                                        Isaiah 45 - 5


一、別の神を求める「出エジプト32章1ー10節)
イスラエルの民がモーセの指導のもとに出エジプトをして三ヶ月経ったころのことです。モーセはシナイの荒野に人々を残して、一人シナイ山に登り、そこで神から十戒を授けられました。ところが待ちくたびれた人々はモーセの兄アロンに、モーセはどうなったか分からないから、自分たちを導いてくれる神を造ってくれるように要求しました(32章

1節)。そこでアロンはエジプトを出る時、身につけて来た金の耳飾りを集め、それで金の子牛を造りました。4、5節を読みましょう。金の子牛は、当時、中近東一帯で広く崇拝されていたようです。この悲しい事件は、人間の中に目に見える偶像を求める傾向があることを示しています。これは、私たちの心の中にある罪 (私たちを神から引き離そうとするもの) がそうさせるのです。
彼らの誤りから教えられる二つの点を考えてみましょう。
まず第一に真の神は人間の手によって造られるものでは絶対にないということです。金の耳飾りから造り出した金の子牛を拝むなどとは考えただけでもナンセンスではありませんか。人間が造ったものならば、それがいくら素晴らしいものだとしても人間以下のものです。パウロはこのことを偶像の町アテネのアレオパゴスで『……… 神を人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考えてはいけません』(使徒17章29節)と語っています。私たちの国でも同じですね。たくさんの偶像に囲まれ、それを当然のことと考え、疑問すら感じていないのが現状ではないでしょうか。

 第二は、神と人間とは全く違う存在であるということです。創造主の神と被造物の人間との間には明確な区別があります。に日本人はよく、人は死ぬと神や仏になると考えますがそれは大きな間違いです。人間は神に造られたものであって、人間が神になることも、神を造り出すこともできないのです。  (使徒17章25,26節)

二、唯一の神(出エジプト20章3節)
 聖書ははっきりと神はただお一人であることを語っています。十戒の第一戒にはそのことが明記されています。神はイスラエル人が他のものを神として崇めるようになることを何よりも厳しく禁じておられます。
神は他に比べるものが何もない絶対的存在です。アテネの町には三千もの偶像があったと言われています。日本でも『八百万の神』と言われるほど、いろいろな神があります。偶像はどれも不完全ですからその数も多くなるわけです。また、これらは罪ある人間の欲望を満たすために造られたものですから、いくら熱心に拝んでも、その人を幸福にすることはできません。完全な、まことの神様だけを礼拝し、従うことが、昔も今も人間にとっていちばん大切なことなのです。

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