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(2011-07-03の週報より)

「御言葉を聞く」

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『心に植え付けられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは あなたがたのたましいを救うことができます。(ヤコブ1章21節)

Wherefore putting away all filthiness and overflowing of wickedness, receive with meekness the implanted word, which is able to save your souls.  (James 1 : 21 )

一、種まきのたとえ(マタイ13章1−8節)
 イエスの時代のユダヤでは、二とうりの種まきの方法がありました。一つは手でばらまく方、もう一つは種の入った袋に穴をあけ、それを驢馬に背負わせて歩かせるやり方です。ですから、種は畑にまかれるだけではなく、道端、岩地、いばらの中などいろいろな所に落ちました。イエスはこのような種まきの様子を用いて次のような例え話しをなさいました。
 3−8節を読みましょう。道端に落ちた種は、鳥に食べられてしまいました。岩地に落ちた種は土が薄いので太陽の熱で早く暖まって発芽したももの、岩にぶつかってしまうために根が伸ばせず太陽が照りつけると枯れてしまいました。いばらの中に落ちた種は、地面の中にいばらの根が残っていたため、いばらのほうが早く生えて土地を覆ってしまい、落ちた種は育つことができずに枯れてしまいました。
 一方、よく耕された軟らかい畑に落ちた種はどうでしょう。肥料もたっぷりあるので、すくすくと種は育ち、三十倍、六十倍、百倍もの豊な実を結びました。

二、たとえで語る理由(マタイ13章9ー17節)
 ところで、弟子たちにはたとえを使わずに物事をそのままお話しになるイエスが、人々には何故たとえ話しをお用いになったのでしょうか。不思議に思った弟子たちは、イエスに理由を尋ねました。イエスの答えはこうでした。13ー15節を読みましょう。
 イエスは、間違った動機からご自分に的外れの期待をしている人たちがいることをご存知でした。そのような人たちは、神のことばを決して理解しませんし、無関心で、信じようともしません。それだけでなく、ますます遠ざかってしまうのです。しかし、神の言葉を積極的に自分から求めて理解しようとする者には、ますます多くのことを示していただけます。イエスは求める人を正しく導き、そうでない人をふるい分けるために、例え話を用いられたのです。

三、聖書によって養われる(マタイ13章18ー23節)
 その後、イエスはたとえの意味を説明してくださいました。種とは、神の言葉、聖書です。土地は、御言葉を聞いた人々の心の状態を指します。では、道端とはどんな心でしょう。踏み固められた、頑固な心で、パリサイや律法学者たちのように、偏見をもってわざとイエスのことばに耳を傾けない状態を指します。神などいないと言う人々や異なる宗教の信者たちの心も同じでしょう。岩地にまかれた種とは、喜んで神の言葉を信じても、困難や迫害に遭うとすぐに信仰を捨ててしまう人々のことです。いばらの中に落ちた種は、一度は信じますが、やがて世の中のことが気になったり金儲けなどに目がくらんで、信仰を捨ててしまう人のことです。せっかく洗礼を受けても、何かがあると教会から離れてしまう人たちもいます。良い地に落ちた種とは、本物の信仰をもつ心です。そのような人は、素直に御言葉に従います。
 聖書は、私たちを罪の悔い改めやイエスを救い主と信じる信仰に導き、救われた人は他の人を救いに導きます。これが、豊な実を結ぶということです。豊な実を結ぶよい土地になりましょう。

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