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(2011-05-22の週報より)

「幸福について」

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心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。(マタイ5章3節)

Blessed are the poor in spirit: for theirs is the kingdom of heaven. (Matthew 5 : 3 )

 ある人は『心の貧しい者がなぜ幸いなのですか』と思います。その人は『貧しい』という言葉から不幸を連想し、また『心が貧しい』という言葉から『心の狭さ』を連想するのに、そんな人がなぜ幸いなのかと言うのです。それは聖書の意味と、私たちが使っている言葉の概念が違うためです聖書の言う『貧しさ』は『自分自身に頼るものをもっていない』状態を表します。ですから貧しくても、富んでいても、もしその人がこの世の富とか名声とか権力などに望みを置き、それに固執しているなら『心の貧しい者』とは言いません。また聖書で言う『幸い』とは『神様から祝福された状態』『満ち足りた状態』のことです。
                                                       

一、もし幸福が人間の最大の関心事であるなら
 人間は誰でも幸福でありたいと願っています。イエスが宣べ伝えた神の国の福音は、その人間の願いにこたえて、どういう人が幸福であるかを教える八つの宣言 (八福の教え) 始まりますこの八つの宣言は、感嘆文なので『幸いだ (こうゆう人は) 人は』と訳すことができます。『幸いだ (幸いである) は神に祝福されている』の意であり、人間の幸福は『神に祝福されている』こと以外にはありません。神の形に創造された人間は、神との交わりを失っては幸福の生きられません。イエスが神の国の福音を宣べ伝えられたのは、人間を神の支配下に呼び戻して、失われた神との交わりを回復させるためなのです。もし幸福が人間の最大の関心事であるなら、イエス・キリストにおいて近づいた神の国 (支配) を喜んで受け入れ、神との親密な交わりに導き入れられなければなりません。

二、心の貧しい者であること(マタイ5章3節)
『八福の教え』の第一は、教えの全体を要約しているものと見なされます。『心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです』神の国を受け入れる者は『心の貧しい者』でなければなりません。『心の貧しい者』と言えば、この世ではマイナス・イメージで、むしろ、心の豊な者であることが求められますここでイエスが言われる『心の貧しい者』とは『自分により頼む傲慢な思いがなく、へりくだって神の支配にすべてをゆだねる者』を意味します。そのような『心の貧しい者』の幸いを見事に歌い上げているのが『マリヤの賛歌』(ルカ 1章46ー55節)です。イエスは、弟子たちを諭して言われます。『あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい』(マタイ20章26節) と。

三、平和をつくる者であること(マタイ5章9節)
『八福の教え』の第七は『平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです』とあります。神は、イエス・キリストの福音 (神と人との和解) を実現してくださった『平和の神』です。その神の子供とされ、事実『神の子どもと呼ばれる』私たちが、神のみこころに沿って『平和をつくる者』であるのは、当然のことです。 キリストの十字架によって、争いの原因である敵意が葬り去られました(エペソ2章16節)。この根源的な事実を信じることに、人間の、幸福がかかっています

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