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(2011-05-08の週報より)

「死に勝利したイエス」

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しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえられました。(使徒2章24節)

whom God raised up, having loosed the pangs of death: because it was not possible that he should be holden of it.( Acts 2 : 24 )

 一、あなたがたは(使徒2章22、23節)
 イエスの復活と昇天の後に、聖霊がくだり、弟子たちの上にとどまりました。すると、彼らは聖霊に導かれて、異国のことばで話はじめたとあります。この不思議な出来事のため、大勢の人が集まって来ました。ペテロは、ほかの弟子たちと共に立って、説教を始めたのです。
 ペテロは、特にイスラエルの人々に向かい、旧約聖書のみことばに基ずいて、イエスを通してなされた神の御業を大胆に説明しました。神が、イエスを通して、力ある業、不思議な業、そしてあかしの奇跡をなさったと語ります。しかもこれらの不思議な奇跡は、ナザレのイエスこそがメシヤであることの『あかし』であると説明しています。
 そして、世界で一番はじめの説教で、ペテロは『この方を……あなたがたは……十字架につけて殺しました』と語りました。これは、私たちの今の時代においても語られるべき、普遍的なメッセージです。私たちの罪が、キリストを十字架にかけ、神の怒りが、私たちにではなく、身代わりとしての主イエスに注がれたからです。

二、復活の証人(使徒2章24ー32節)
 そして、ペテロは続けます。イエスは十字架につけられて死んだが、神は、このお方をよみがえらせたと! しかも、それは、旧約聖書が最初から預言していたことだと主張します。
 イスラエル第二代の王ダビデが作った詩篇16篇10節を読みましょう。ペテロはこの詩に出てくる『私』は決してこの詩篇の作者のダビデではないと言います。というのは、現にダビデの墓があるわけで、彼が死んだことは誰もが知っていると説明しています。将来ダビデの子孫として生まれてくる一人の人がメシヤとしてこの世に現れ、その人が死後によみがえることをダビデが預言したとペテロは説明しています。
 その預言の通り、イエスはよみがえり、自分たちこそがそのことの証言であると述べるのですペテロは、自分たちの体験だけに頼りませんでした。聖書の預言に基づいた説明をしたのです。

三、死は勝利に(㈵コリント15章54ー56節)

 イザヤは『死は勝利にのまれた』と言いました。どうして「のまれた」という表現を用いたのでしょうか。当時『死』は人々をのみこむ大口を開けた恐ろしい怪物のように描写されていました。だから預言者は、それを逆手にとって、そんな恐ろしい怪物のような『死』がのみこまれるという反対の表現で、輝かしい救いの勝利を表現したのです。
 このみことばは、イエスが十字架につけられ、死んで、三日の後に墓よりよみがえられたことによって実現しました。イエスが私たちの罪のために身代わりとなって神からにさばきを受けられたので、私たちの罪が除かれたのです。それによって、死に、私たちを刺すとげがなくなったと言います。死はもはや私たちを脅かすことができなくなったということです。私たちの罪の故に、裁きとしての『死』が私たちを苦しめることになりましたが、罪が除かれので、死に対する勝利がもたらされたのです。

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