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(2011-04-17の週報より)

「十字架」

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神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。   (㈵テモテ 2章5節)

For there is one God, one mediator also between God and men, himself man, Christ Jesus,( 1 Timothy 2 : 5 )

一、神の完全なさばき(マルコ 15章33ー36節)
『エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ』ということばほど、誤解されやすい聖書の箇所はないかもしれません。キリストが神に見捨てられて、思わず叫んでしまった恥ずかしいことばだと考えてしまう人が少なくないからです。しかし逆に、このことばこそ、救いの重要な鍵を表していることばなのです。キリストの十字架の死は、単なる肉体的な死は、神から完全に見捨てられるという、霊的な完全な死だったからです。
 最初の人間アダムとエバが善悪の知識の木に実を取って食べた時、死が人間に入ってきました (創世記 3章19節)。それは肉体の死だけではなく、神との交わりが崩れる霊的な死でもあったのです。だからこそ、罪のさばきは肉体的なものだけではなく、霊的なものである必要があるのです。イエスの叫びこそ、父なる神と子なる神の永遠の交わりが完全に絶たれる永遠の裁きとその苦しみを表しているのです。その悲しみは、つくられた世界が闇に包まれるということで表されました (33節)。イエスのこのことばは、旧約聖書の詩篇22篇1節でもありました。続く4、5節を読みましょう。悲痛な叫びが喜びに変えられるという旧約の預言の実現を、このキリストの叫びを通して知ることができるのです。キリストの十字架は、失敗ではなく、預言の成就であり、私たちに真の勝利を与えるためのものでした。

二、神との交わりの回復(マルコ 15章37、38節)
 『父よ。わが霊を御手にゆだねます』(ルカ 23章46節)という最後の叫びをもってキリストが完全な裁きを受けられた時、神殿の幕が上から下までまっ二つに裂けたと聖書は証言しています。
その幕は、神殿の聖所と至聖所とを隔てる垂れ幕でした。大祭司が年に一度だけしか入ることが許されなかった至聖所への隔ての幕が裂ける、しかも上から裂けるということは、神の御手によって、キリストの贖いを信じる者が聖なる神がいらっしゃる場に大胆に近づくことができ、神ご自身と豊な交わりをもつことができるということを意味しています (ヘブル10章19、20節)。
神と人との仲介者として、キリストは十字架にかかられたのです (㈵テモテ2章5節)。

三、十字架の目撃者(マルコ 15章39ー41節)
 イエスの十字架と死を目撃したローマ軍の百人隊長は『この方はまことに神の子であった』と証言しています。異邦人が語ったことばですから『神の子』ということばは『正しい人』と言う意味にしか過ぎないかも知れません(ルカ 23章47節)。けれどもその表現を通してキリストの神の子としての真実があかしされていることにも、主の導きを覚えることができます。
 また、キリストに従う女性たちが、キリストの十字架を遠くから見守っていました。男性の弟子たちがいち早く逃げてしまった中で彼女たちの勇気と愛をもってキリストに十字架を見つめていたのです。

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