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(2011-03-13の週報より)

「最後の晩餐」

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 これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流される
ものです。                     (マタイ26章28節)

for this is my blood of the covenant, which is poured out for many unto remission of sins.(Matthew 26 : 28 )


一、過ぎ越しの食事の用意をさせたイエス(マタイ26章17ー19節)
 イエスは『わたしの時が近づいた。わたしの弟子たちといっしょに、あなたのところで過ぎ越しを守ろう』と言って、都エルサレムの無名の人の家で過ぎ越しに食事ができるように弟子たちに用意をさせました (18節)。 『種なしのパンの祝いの第一日』(17節)、すなわちニサンの月の14日で、その日が始まる夜に過ぎ越しの食事の始まるのです。
 イエスが『わたしの時』と言われたのはゲッセマネの祈りを終えて『見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されるのです。』と言われたことから(45節)、イエスが捕らえられて十字架につけられる時を意味しています。危急の『時』が迫る中で、イエスが過ぎ越しの食事のためにほふられる子羊と重ね合わせておられたからです。


二、最後の過ぎ越しの食事(マタイ26章20ー29節)
 イエスは、ご自分の時を知っておられて、地上生涯における最後の晩餐を、過ぎ越しの食事に合わせるようになさいました。やがて捕らえられて十字架につく運命を見通していたイエスは、ご自分の死をはっきり『ほふられた過ぎ越しの子羊』に見立てておられました。そればかりではなく、毎年守られている『過ぎ越しの祭』を、イエスの十字架の死が成就するのです。それでイエスの最後の晩餐は、最後の過ぎ越しの食事となりました。
 ヨハネの福音書は、イエスが十字架で死んだ時、イエスの体だけ骨を砕かれなかったことを述べ、『この事が起こったのは「彼の骨は一つも砕かれない」という聖書のことば(過ぎ越しの子羊のほふり方について記した (出エジプト12章46節) が成就するためであった』と解説して(19章36)、イエスの死が過ぎ越しの子羊の屠殺であった事実を明らかにしています。


三、罪の赦しのための身代わりの死(マタイ26章28節)
 過ぎ越しの子羊としてほふられるイエスの死は、全人類の罪をゆるすための犠牲(いけにえ)としてささげられた (身代わりの死) です。そのことを、ここでイエスは、弟子たちに杯を与えて『これは、わたしの契約の血です罪を赦すために多くの人のために流されるものです』(28節) ということによって、はっきり宣言しておられます。
 イエスは『わたしの契約の血』といわれます。イエスが十字架で流す血は、それによって立てられる『新しい契約』のためです(ルカ22章20節、㈵コリント11章25節)。それはエレミヤ31章31−34節の預言の成就であり、信じる者たちの『心に書き記され………彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さない』と言われるほど徹底した罪の赦し、まさに (無条件・無制限の赦し) 与える福音の源泉なのです。

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