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(2010-03-28の週報より)

「十字架」

  

『神は唯一です。また神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としての
     キリスト・イエスです。』              (第一テモテ2章5節)

For there is one God and one mediator betwcen God and men. the man Christ Jesus.

      (1Timothy 2 : 5 )  New International Version

 

一、神の完全な裁き(マルコ15章33ー36節)


  『エリ、エリ、レマ、サバクタニ、サバクタニ』(わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか)』という言葉ほど誤解されやすい聖書の箇所 はないかも知れません。キリストが神に見捨てられて、思わず叫んでしまった恥ずかしい言葉だと考えてしまう人が少なくないからです。しかし逆に、この言葉 こそ、救いの重要な鍵を表している言葉なのです。キリストの十字架の死は、単なる肉体的な死ではなく、神から完全に見捨てられるという、霊的な完全な死 だったからです。

最初の人アダムとエバが善悪の知識の木の実を取って食べた時、死が人間に入ってきまし た(創世記 3章19節)。それは肉体的な死だけではなく神との交わりが崩れる霊的な死でもあったのです。だからこそ、罪のさばきは肉体的なものだけではなく、霊的な ものである必要があるのです。

イエスの叫びこそ、父なる神子なる神の永遠の交わりが完全に絶たれる永遠のさばきとその苦しみを表しているのです。その悲しみは、造られた世界が闇に包まれるということで表されたのです(33節) 

イ エスの言葉は旧約聖書の詩篇22篇1節でもありました。続く5節に『彼らはあなたに叫び、彼らは助け出されました。彼らはあなたに、信頼し、彼らは恥を見 ませんでした』とあります。悲痛な叫びが喜びに変えられるという旧約の預言の実現を、このキリストの叫びを通して知ることができるのです。キリストの十字 架は失敗ではなく、預言の成就であり、私たちに真の勝利を与えるためのものでした。


二、神との交わりの回復(マルコ15章37、38節)

 『父よ。わが霊を御手にゆだねます』(ルカ23章46節)という最後の叫びもってキリストが完全にさばきを受けられた時、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けたと聖書は証言しています。その幕は、神殿の聖所と至聖所とを隔てる垂れ幕でした。

大 祭司が年に一度だけしか入ることが許されなかった至聖所への隔ての幕が裂ける、しかも上から裂けるということは、神の御手によって、キリストの贖いを信じ る者が聖なる神がいらっしゃる場に大胆に近づくことができ、神ご自身と豊かな交わりをもつことができるということを意味しています(ヘブル10章19、 20節)。神と人との仲介者として、キリストは十字架にかかられたのです(㈵テモテ2章5節)。


三、十字架の目撃者(マルコ15章39ー41節)

  イエスの十字架と死を目撃したローマ軍の百人隊長は「この方は神の子であった」と証言しています。異邦人が語った言葉ですから『神の子』という言葉は『偉 大な人物』『正しい人』(ルカ23章47節)という意味に過ぎないかも知れません。けれども、その表現を通してキリストの神の子としての真実があかしされ ていることも、主の導きを覚えることができます。

 また、キリストに従う女性たちが、キリストの十字架を遠くからるのです。見守っていました。男性の弟子たちがいち早く逃げてしまった中で、彼女たちは勇気と愛をもってキリストの十字架を見つめていたのです。

当時さげすまれていた女性をも主は豊かに用いてくださいます。

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