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(2010-04-11の週報より)

「復活の主に出会った弟子たち」

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『彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。』(ルカ24章31)

Then their eyes were opened and they recognized him.(Luke 24 : 31 )

      New International Version.

 

一、エマオの途上にて(ルカ24章13ー27節)

 イエスが復活された日の午后、二人の弟子たちが、エルサレムからエマオに向かって歩いていました。エマオが、現在のどの場所かについては、さまざまな説があります。

彼らは、イエスの裁判、十字架のいきさつを、身を隠しながらも見届けました。その後のイエスに関するうわさなどを聞きつつも、主を失った失望感に打ちひしがれ、復活を信じないまま、この三日間の出来事を語り合い論じ合いながら、エマオに向かって歩いていました。
  イエスが彼らに近づき一諸に歩かれても、イエスに気づかなかったのは、まだこの段階では彼らの目が神によってさえぎられていたからです。イエスが復活後、 以前と異なった姿になったからわからなかったという意味ではありません (ある場合にはすぐにわかった マタイ28章9節、ヨハネ20章19節、ルカ24章39ー43節、参照)。 
 確かにイエスはよみがえりの後、新しい霊のからだ(ピリピ3章21節、ヨハネ20章19ルカ24章31)をもっておられたことも事実です。
 イエスは懐疑と落胆の中で混乱している二人の弟子の問題にも介入されます。そして道を歩きながら、旧約聖書全体を通しての中心であるイエスについて説明されました。それは、弟子たちの、イエスに対する間違った期待(ルカ24章21節) を正すものともなったのです。


二、この方はイエス(ルカ24章28ー35節)

  二人の弟子は、目的地のエマオに着いたけれど、まだイエスだと気づかぬまま、イエスを引き止めます、イエスに対する関心度、また後になって『私たちの心の 内に燃えていたではないか』との言葉からも、どうしてもお泊めしてさらに話を聞きたいという思いをさせるものをイエスご自身から感じていたことがわかりま す。
 最後の晩餐を(ルカ22章14ー20節) を思い起こさせる食事が、イエスの導きによって始まります。この時、主ご自身によって二人の弟子の信仰の目が開かれ、その方が主イエスだと確認できたのです。

 彼らは急いでエルサレムに戻り、同じようにイエスのよみがえりについて語り合っている11弟子に向かって、自分たちがよみがえりの主イエスに会ったことを伝えたのです。
 主は、失望と混乱の中にいる弟子たちに、ご自分から『復活の主』である姿を現し、彼らの弱さやタイプに応じて御自身の『復活』を証明して下さいます。それによって、弟子たちはキリストの十字架と復活を宣べ伝える者に変えられるのです。

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